ひえは「イネ科ヒエ属の穀物のこと」。

「アイヌ主食」と言い換えると分かりやすい。

あわは「イネ科エノコログサ属の穀物のこと」。

「五穀」と言い換えると分かりやすい。

昔から「ひえ・あわ」は主食として食べられていたことが分かっています。

現在では米やコムギなどが主食となり、「ひえ・あわ」は見向きもされませんが、健康食としての見直しはされています。

「ひえ」は米のない昔は主食でした。

「ひえ」は名前にあるように寒い地方でも育つ強い穀物であったため、アイヌ民族は主食としていました。

また、宮崎の民謡「ひえつき節」では「ひえ」の脱穀が難しいことを歌っています。

一旦蒸してから臼でついて黄色い実をとり出すので大変手間がかかることでした。

農家の庭先ではひえつきが日常仕事になっていたと言われています。

「あわ」も主食として食べられていました。

「あわ」も「ひえ」とともに日本人の主食でした。

縄文時代には食されていた形跡があり、日本で最古の穀物栽培とされています。

ヒエ・麦・豆・稲・粟と五穀に数えられていました。

菓子の粟おこし・粟餅などにされる他、家畜やペットの餌になります。

最近は健康食としての見直しがなされています。

「あわ」は「粟粒」と言うように小さいものの例えや「濡れ手に粟」とことわざにも使われます。

「ひえ「「あわ」は米・麦の代用品でした。

「ひえ」「あわ」は米や麦が広まる前は主食の穀物でしたが米・麦があるときは補助穀物として使われ、凶作の時は米が不作のため年貢も納められず、生きるための代用品になったものと思われます。

いわゆる雑穀類が命を救っていた歴史があるのです。

雑穀とはこめ・むぎ・トウモロコシ以外のあわ・ひえ・きび・ソバなどを指します。

「ひえ・あわ」は雑穀の一つ

「ひえ」は雑穀の一つで昔は主食として食べられていました。
「ひえつき節」に残るように農家の日常仕事として脱穀をしていたのです。

「あわ」も主食でした。

あわの実は細かいことから「粟粒」と言われ、手に付きやすい事から「濡れ手に粟」と言うことわざもあります。

現在では「ひえ・あわ」は健康食として見直されています。

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