勿体は「格式張った重々しい様子のこと。」
「威厳」と言い換えると分かりやすい。
勿体ないは「惜しむ気持ちのこと」。
「惜しい」と言い換えると分かりやすい。
「勿体」は日本の古来の言葉で「物体」と書きました。
本来あるべき姿と言う意味で、無くなることは惜しいことと言う意味が「勿体ない」と言う言葉になったのです。
「勿体」はあるべき姿
「勿体」は「勿体ある」とも使い、威厳のある様子を言います。
「勿体ぶる・勿体付ける」などの言葉もあります。
「勿体」は元々「物体」と書いていましたが、「物」の「不浄な牛偏」を取り「勿」とした経緯があります。
ですから「物体」であったわけで「物の体」が転じて「重々しさ・威厳さ・本来あるべき姿」などの意味になったのです。
「勿体ない」は惜しいという意味
「勿体」が「ない」とは「本来あるべき物の姿が無くなることは惜しいことだ」から「惜しいこと」になったとされています。
「勿体ない」は現代でも頻繁に使われる言葉です。
日本人の国民性として物を大切にすることから、無駄なことは「勿体ない」とされます。
「物を捨てるなどなんと勿体ないことをするのだ」「勿体ない、何かにリサイクルできないか」などと使います。
「勿体ない」と反対の「勿体ある」もある
「勿体ない」とは反対に「勿体ある」と言う言葉も存在します。
「物々しい尊厳のある様子」と言う意味で使います。
「勿体」は仏教用語でもあり、「なにも存在しないこと」「有難いこと」と言う意味になります。
「勿体ある」は「威厳・尊厳あること」で、「勿体ない」は「威厳や尊厳のある有難いことが無くなること」なので「惜しい」と言う意味に転じたものです。
「勿体」と「勿体ない」とは
「勿体」は「尊厳や威厳のある格式ばった様子」のことですが、本来は仏教で「何も存在しないこと、存在しがたいこと、つまり有難いこと」を意味しそれが無くなることを「勿体ない」と言ったのです。
「勿体ない」は現在でもよく使う言葉です。
「勿体ない精神」は物を簡単に捨てないで大切にし最後まで使いなさいと言う精神のことです。