「水がよどみなく流れる様子」、「流暢に話す様子」という意味で、立て板に水という言葉についてはほとんど後者の意味で使われます。
会話などをするときに、よどみなくすらすらと言葉が出てくるような状況を指しており、そういう人を見かけたときに、まさに立て板に水であると表現するのです。
実際、そういう人は周りにいる可能性はあります。
「立て板に水」の意味
立て板に水というのは、流暢に話すことができるという意味で使用されることが多いです。
常に流暢に話ができるわけではなく、特定のシーンのみだったとしても、立て板に水という言葉を使うことができます。
したがって、特定のシーンのみで会話がすらすらできるような人がいたときでも、立て板に水という言葉を使っていくと良いです。
「立て板に水」の使い方
立て板に水という言葉は、特定のシーンのみで流ちょうに話すことができている状況でも使って構いませんが、自分の得意な話をしているようなときに使うことが多いです。
その人が詳しい話題であれば、当然すらすら話しやすいので、立て板に水と言える光景に見えやすいのです。
したがって、立て板に水と言える状況というのは、その人の得意分野の話をしているときであるケースが多く、そういう部分も考慮して使っていくと良い言葉です。
「立て板に水」の例文
「あの人って普段は割と寡黙な性格で、口数が多い方ではなかったと思いますけど、この前すごい流暢に会話をしているのを見たんですよ。
どうやらアニメの話だったみたいで、彼はアニメが趣味のようですから、その話題だったためにかなりすらすらと話が出ていたように思います。
まさに立て板に水のような光景に思えた瞬間だったと言えます。」
常に立て板に水という状況の人は少ない
立て板に水と言えるような状況というのは、いろいろなシーンで見ることは可能だと思います。
しかし、その人が常に立て板に水と言える状況か?というと、その可能性は低いでしょう。
特定のシーンのみ流暢に話すことができているだけと考える方が自然な気がするのです。
どんな場合でも常に流暢に話せる人がいたら、それはすごい才能と言えるのです。