「泣いて馬謖を斬る」は三国志を由来とする故事成語で、「公に立場ある者は私情に走らず大義を守るべきである」という意味を表します。
人の上に立つ者は当然権力を持ち、それにあかせて依怙贔屓に走りやすくなります。
しかし、それを自ら律し、規律は規律として率先して守る事が出来る者程、上に立つ資格があるという事です。
「泣いて馬謖を斬る」の由来
三国志に詳しくない人でも、諸葛亮孔明の名は聞いた事があるでしょう。
天才軍師と名高い孔明には、馬謖という名の部下のような弟子のような存在の男がいました。
慎重派の孔明に対して少々積極派だった馬謖は、ある日、孔明の指示に従わず独自判断で自ら率いる軍の動きを決め、結果、大失敗に終わります。
軍師の命令無視は明らかな規律違反であり馬謖は厳罰に処されるべきでした。
孔明を含めた上層部に覚えの良い馬謖だった為に処罰を躊躇する者もいたのですが、孔明は規則は規則と、馬謖の首を撥ねました。
しかし、孔明は大義を守って処刑した後、大粒の涙を流したと言います。
「泣いて馬謖を斬る」の異説
諸葛亮孔明が馬謖の処刑に際し流した涙は「悔し涙」という事になりますが、「何を悔やんでの涙か」という部分には2つの説があります。
ひとつは、孔明にも勿論、部下であり弟子であった馬謖に情がなかったわけではなく、大義を守るためにその情を押し殺して斬った事を悔やんだからだ、というものです。
もうひとつは、馬謖という人物は中々狡猾な男であり、それに気付いて孔明に気をつけるよう忠告する者も居たというのに、孔明は判断を誤り、結果、自分に人を見る目がなかったとわかった悔しさからだ、というものです。
「泣いて馬謖を斬る」の使用例文
現在、下がり続ける投票率に増え続ける政治家の不甲斐ない判断・事件で日本の政治家への評価は下がる一方です。
果たして、今の政治家達の中に「泣いて馬謖を斬る」ような事が出来る人はいるのでしょうか。
尤も、やろうとすれば、政治が立ち行かなくなる程多くの「馬謖」を斬る事になり、踏み込めないのかも知れません。
それはそれで問題ですが、そもそも行政だけでなく司法、立法を合わせた三権に携わる者は、皆「泣いて馬謖を斬る」気概がなければ職業適正があるとは言えないのではないでしょうか。
本来は紙一重である「泣いて馬謖を斬る」という行為
「泣いて馬謖を斬る」は、守られるべき大義や規則が立派であるという前提が何よりも重要です。
到底理解し得ない間違った規則を守らなかった為に上役に斬られれば、それは一転して「独裁」や「恐怖政治」となります。
史上の一揆や革命では、「泣いて馬謖を斬る」という建前で犠牲になった者達も少なからず存在したのは事実です。
斬る側にも斬られる側にも、出来れば成りたくはないものです。