「ひゆ」と読みます。

「たとえ」のことです。

「太陽のような人」といえば「明るい人」とか「周りを温かい気持ちにする人」というイメージが湧くのではないでしょうか。

このように何かを表現したり説明したりするときに、相手にそのイメージをより感覚的に把握してもらうために、別のものを引き合いに出すことを「比喩」といいます。

細くいえば、比喩には「直喩・明喩」「暗喩・隠喩」などがあります。

直喩(ちょくゆ)・明喩(めいゆ)

「太陽のような?」というように「ような・ように」が付くのが「直喩・明喩」です。

「?ようだ、?ごとし」という言い方も直喩になります。

ではそもそも、なぜたとえないといけないのでしょうか?例えば、単に「小さい」と言ってもどれほど小さいのかわかりません。

これを「ゴマ粒のように小さい」と言えば、イメージがパッと浮かびます。

辛いことがあったときも、単に「辛い」と言っても相手にわかってもらえません。

「身を切るように辛い」といえば、相手にもしみじみわかってもらえるのではないでしょうか。

これが比喩の働きです。

暗喩(あんゆ)・隠喩(いんゆ)

直喩は「?ような」が付くのに対し、言い切ってしまうのが暗喩・隠喩です。

「あなたは僕の太陽だ」というような言い方です。

「太陽のような人」というと直喩になってしまいます。

もちろん、どちらが良い悪いということはありません。

隠喩を英語では「メタファー」といいます。

メタファーは言葉に限りません。

映像でもメタファーの手法が用いられます。

画面に一輪の花が意味ありげに映し出された時、それはしばしばメタファーであったりします。

オオカミ少年

『オオカミ少年』は、「オオカミが来た!」とウソをつき続けた結果、本当にオオカミが現れた時に誰にも信じてもらえなかったという寓話ですね。

大きくいえば、これも「たとえ」です。

「ウソをついてはいけない」という教訓を身に沁みて理解してもらうために、お話全体が比喩であるといえます。

そこから転じて、「あいつはオオカミ少年だ」というように暗喩で使うこともあります。

見栄ばかり張って自分を見失っている人を「裸の王様」と暗喩で言いますが、これも寓話から来ていますね。

比喩は小説のうまさを左右する?

このように、比喩は伝えたい内容を相手に感覚的に、あるいはイメージとして、よりよくわかってもらうために使います。

そのため、何かを読み手にリアルに伝える必要のある小説では欠かすことのできないテクニック(修辞法)になります。

比喩のうまさが文章のうまさと言ってもいいかもしれません。

村上春樹氏の「スプートニクの恋人」には、嫌な目覚めの気分を「まるで曇り空をそのまま飲み込んでしまったような気分だ」と表した比喩表現(直喩)があります。

よくその気分が伝わるのではないでしょうか。

比喩表現に注目して小説を読んでみるのも楽しいかもしれませんね。

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