「求道者」と書きます。

仏教用語としての「修行者」のことを言います。

煩悩を自身から追い払い、釈迦の教えを学び、真理や悟りを目指し修行する人のことです。

英語で「investigator(調査者・研究者・捜査員)」または「catechumen(洗礼志願者・入門者・初心者)」といいます。

真理や真実を求めて深く探求し、途中で挫折することがあっても諦めず、向上しながら精進を続けることから、すぐに諦めたり、慢心してしまう人には使うことのできない
言葉です。

「ぐどうしゃ」の意味

「求道者」を「ぐどうしゃ」と読む場合、仏教用語に限定されます。

仏教において、煩悩を払い去るために釈迦の教えを学び、さまざまな修行を行い、悟りの境地を目指し、安心立命正道を求める修行者のことを指します。

「求道者」と書いた場合の読み方は二通りあり、もう一方で「きゅうどうしゃ」という読み方もします。

こちらの方が一般的であり、学術・芸術・スポーツなどの多岐に及ぶ分野において、その道の境地を求めて励んでいる人のことを指します。

「ぐどうしゃ」の使い方

挫折や困難にも打ち勝ち、厳しい道を歩み続けていくことは難しいことであり、自分に甘い心や怠ける心、周囲からの誘惑に負けてしまうような「凡人」には表現できない言葉です。

誰しもが「求道者であるとは」言えるわけもなく、自分をストイックに追い込み、「修行」という自分を律するルーティンを崩さずに高みを目指す人に使用できる言葉です。

「ぐどうしゃ」の例文

・生まれつき片手が失われた彼女が、自分に出来ることを模索し、それをクロスカントリー
に定めてからは、求道者と言わんばかりにストイックに練習に打ち込み、パラリンピックの
選手として見事メダルを手に入れた。

・若き頃に悪童だった彼は、俗世を捨て、求道者としての生き方を選び、日本の各地を
歩き、その悟りを開くことに専念している。

・私は、心を込めて、求道者が師を礼拝するような心持であの方に対して頭を下げた。

「ぐどうしゃ」と表現される人

俗世を離れ仏教の世界に身を置き、求道者として生きる人も存在すれば、現代社会のストレスから離脱して、宗教団体に身を投じ、その宗教の教えを忠実に守り
境地を目指す人もいます。

また、宗教を離れたところでは、プロというカテゴリーに入るために、修行するかのようにストイックに練習をする人々もいます。

プロの野球選手、オリンピック選手、音楽家、芸術家なども、その道を極めた人々です。

「求道者」は、仏や神に仕える者だけではなく、真理や悟りを得るために精進する者の喩えとしても使用されており、常に自分を追い込み、止むことなく日々成長を続ける人に
その敬意を示すように使用されている表現だと思います。

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