スエズ運河は「地中海と紅海を結んだ大運河のこと」。

「水平式運河」と言い換えると分かりやすい。

パナマ運河は「太平洋と大西洋を結んだ大運河のこと」。

「閘門式運河」と言い換えると分かりやすい。

スエズの方は二つの海の水面が同じ運河で、パナマの方は太平洋と大西洋の水面が異なるためにいくつかの閘門が必要でした。

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「スエズ運河」はフランス人により造られました。

「スエズ運河」はフランス人フェルジナンド・レセップスにより1869年に開通した画期的な事業でした。

それまではヨーロッパからインドに航海するにはアフリカのケープタウンを経由する必要があったのですが、この運河により大幅に距離が短縮されたのです。

イギリスに運河の権利が移るとイギリスの世界進出に利用されました。

「パナマ運河」は難工事でした。

「パナマ運河」の工事は「スエズ運河」を開通させたレセップスが最初手がけたのですが、難工事とマラリアの蔓延で中止せざるを得ず、後はアメリカにより工事は進められ1914年に開通したのです。

太平洋と大西洋を結ぶという壮大な計画でしたが、太平洋と大西洋の二つの海洋の海抜が異なっていたため難工事となったものです。

「スエズ運河」と「パナマ運河」の権益はどうなったのか。

「スエズ運河」はレセップスの運河会社の経営難からイギリスが株を取得し、第二次世界大戦まで権益を持っていました。

ナセル大統領は戦後のエジプト革命でスエズ運河の国有化を宣言しました。

イギリスなどの連合軍がスエズ戦争を起こし奪回を計りましたが、最終的にはエジプトのものになったのです。

「パナマ運河」はアメリカの管理が続いたのですが、1999年にパナマに返還されました。

国際運河としての「スエズ運河」と「パナマ運河」

二つの運河とも世界貿易にとり大変に有益な存在になりました。

そのため、所有権は所属する国が持つのですが、通行料を払えばどこの国も自由に行き来でいるものになっています。

通行料は国際運河であることから低く抑えられるべきところ、利益目的でパナマ政府は高く設定したため、諸外国の反発を受けました。

しかし、運河の拡張工事が進められ多額の資金も必要になっていたのです。

スエズ運河も拡張がされています。

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