寡聞は「見識が狭い状況であること」。
知識量が少ないとか、そういった理由によって、適切な判断を下せないようなシーンで特に使っていく言葉になります。
管見は「狭い見識のこと」。
寡聞と意味はそれほど変わらない状況です。
でも、寡聞よりは管見の方がややマイナーと言える可能性があります。
したがって、使用頻度はどうしても低くなるでしょう。
「寡聞」の意味
寡聞とは、見識が狭い状況であることです。
したがって、特定のケースにおいて、判断材料にできる部分があまりにも少ないため、誤った判断を下しそうな状況で使っていきます。
基本的にはネガティブな意味の言葉であり、知識量が足りないという意味で使っていくので、基本的には言われたくない表現になると評価できるはずです。
「管見」の意味
管見とは、狭い見識のことです。
よって、意味に関しては寡聞と特に変わらない状況と言えます。
しかし、寡聞と比較すると、管見という言い方は普段の生活の中で見聞きしづらいものと言えるはずです。
普通に生活をしていれば、ほぼ使わない、見られない表現になりますから、そもそも知らないという人がいても不思議ではないでしょう。
「寡聞」と「管見」の用法や用例
「特定の分野になると、俺は完全に寡聞だ。
したがって、何も言えなくなってしまう。
知っていることがほとんどないわけだから、当然と言えば当然なわけだが。」
「管見なのにこの問題に口出ししてくるというのは、非常にむかつくな。
こっちは専門的な話をしているのに、何の役にも立たない個人的な感情で語られても時間の無駄なんだけどな。」
寡聞と管見はかなり意味が似ている
寡聞と管見に関しては、ともに見識が狭いと言える状況で使っていきます。
要するに、専門的な知識がない、知識が足りないと言えるシーンで使用するのです。
こういった言葉はそこまでメジャーではありませんが、使用する場面自体は普通にあるでしょう。
そういう意味では、これらの意味はきちんと理解しておく必要があると言えます。