有為は「この世の一切のもの、または能力のある様子のこと。」
「有望」と言い換えると分かりやすい。
無為は「自然のまま、何もしない無駄なこと」。
「無駄」と言い換えると分かりやすい。
有為は仏教用語としては「うい」と読み、有能の意味では「ゆうい」と読みます。
因みに「ういのおくやま」といろは歌にある「有為」はこの世のことで奥山という道なき世界に例えたものです。
「有為」は有能の意味では「ゆうい」と読みます。
「有為」は才能ある様子の事を言い、将来が楽しみだというときに使われます。
例えば「今年の採用者の中には有為の人材が含まれていた」「前途有為の青年は頼もしい」「有為の青年ばかりなので我が国の将来は明るいと感じる」と使います。
「うい」の場合は「有為転変は常に起きている」と使い「所業無常」と同意の言葉になります。
「無為」は無駄な時間のこと
「無為」は「何もしないこと」の意味ですが語源は「作為的なことはしない、自然のまま」という意味でした。
「何もしていないことはすべてをしていること」と説いた老子の話は難解ですが、普通は「無駄な時」という意味で良いのです。
例えば「無為に過ごした三年間は自分にとり無駄な時間ではなく人生の貯金と思えば良い」と使います。
「有為」「無為」は難しい言葉
「有為」「無為」は「有意」「無意」と考えると理解し易いかも知れません。
それが「意味」あることなのかと考えるのです。
少しずれているかも知れませんが、言葉が難解なので分かり易く覚えるためにはこの方が良いようです。
「有為」は才能あることですから意味があり、「無為」は無駄なことですから意味がないとするのです。
因みに「有意」は統計学で意味がある統計のことを言います。
「有為」「無為」
「有為」は仏教では、因縁で作られたこの世の一切のもの事のことを言い「うい」と発音します。
「ゆうい」と発音する場合は「有能な」という意味になるのです。
「有為=うい」では「有為の奥山」や「有為転変」というこの世のすべてのものは変化するという意味で使い、「有為=ゆうい」では「前途有為な若者ばかりで頼もしい」と使います。