手余すは「手に余すこと、扱い切れないこと」。
割とそのままの意味であると言えるものの、あまり見慣れない表現なので、馴染みは感じづらいと評価できる状況でしょう。
持て余すは「上手く扱うことができずに、処置に困っている状況のこと」。
手余すと意味は同じですが、こちらの方が確実にメジャーであると言えます。
そこは重要です。
「手余す」の意味
手余すとは、手に余すこと、扱い切れないことです。
何らかのものなどが余っており、上手く使うことができないケースで使用する言葉です。
対象になるものはそれなりに多くあるでしょう。
しかし、一般的にはマイナーな表現となっており、これを知っている人はかなり少数派です。
日常的にはほぼ使用されていない状況であると言えます。
「持て余す」の意味
持て余すとは、上手く扱うことができずに、処置に困っている状況のことです。
暇を持て余すという言い方はそれなりにメジャーでしょう。
したがって、普段の日常において、そこそこ見聞きしやすい状況であると言えるのです。
手余すと比べたときには、使用頻度は高くなっているので、そこは頭に入れておいてほしいと評価できます。
「手余す」と「持て余す」の用法や用例
「この製品はかなり高性能となっているが、大半の機能は私は使いこなすことができない。
そういう意味では、手余すような状況となっており、もったいないとも言える。」
「忙しい状況はかなり困るものの、暇を持て余す状況も困る。
何もすることがなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけというのは、かなり辛い状況なんだよな。」
手余すと持て余すは使用頻度で区別ができる
手余すと持て余すについては、意味としてはほぼ同じでしょう。
明らかな意味の差を認識することは厳しく、そのような点は頭に入れておかないといけません。
同じような場面で使っていくことが可能であり、そこもちゃんと頭に入れておいてほしいです。
しかし、使用頻度に関しては、持て余すの方が高くなっていると評価できます。