思惑は「自分に有利なことを考えていること」。
「予想」と言い換えると分かりやすい。
見込みは「そうであれば良いという仮定のこと」。
「仮定」と言うと分かりやすい。
思惑は予めの考えのこと、見込みは予めの算段のことです。
両方とも予めという仮定のもと行うものになります。
ですから「思惑違い」「見込み違い」が起きるのです。
「思惑」は事前に考えている都合の良いこと
「思惑」は事前の「考え」のことです。
特に自分にとり都合の良い内容の考えで、「思惑外れ・思惑違い」が起きると残念な気持になり、「思惑通り」なら満足するのです。
普通は都合の悪い考えはしないもので、その場合は「心配・懸念」などの言葉になります。
ある「思惑」の元で行動することが良くあり、儘にならなければ悔しい思いをします。
「見込み」は予めの算段のこと
「見込み」は事前にどれくらいのものか予測することです。
例えば「稲作の生育状況から判断して今年は豊作と見込んでいたところ、台風で被害が思った以上に出て結果は凶作となった」「見込み違いだった」「見込みが甘い」「娘の相手は見込み通りの人だった」「どれぐらいの生産が可能なのか、最大見込み量を計算してください」などと使います。
「思惑」違いは「見込み}違」のこと
「思惑」と「見込み」は同じことを言って知ることがあります。
例えば「これぐらいは欲しいものだ」というのが思惑で、「これぐらい取れるかも知れない」が見込みになります。
どちらも同じ分量のことを言っています。
「思惑」と「見込み」は視点が違うのです。
「思惑」は希望で言い、「見込み」は算段・実際の予測を言っています。
「思惑」と「見込み」
「思惑」は予め考える希望的観測のことで甘い判断になり易くなるものです、「見込み」は予め考える実態予測のことでシビアな判断になります。
「思惑」が外れてもあまり深刻には感じませんが、「見込み」が外れると結構ショックです。
「思惑」は身勝手な思いがありますが、「見込み」は相手が合ってのことなのでかなり正確になります。