観念は「ある考えのこと、またはあきらめること。」

「主観的考え」「あきらめ」と言い換えると分かりやすい。

あきらめは「物事を断念すること」。

「断念」と言い換えると分かりやすい。

観念は「観念する」と使うとあきらめるという意味になります。

本来は自分が抱くある物事に対する主観的考えのことですが、動詞として使うと意味が違ってきます。

あきらめは物事を断念して途中で止めてしまうか、そういうものかと思うことです。

「観念」もあきらめる意味があります。

「観念」は「自分で感じた考え」「主観的思考」のことです。

例えば「あなたには時間の観念がないのですか。

遅刻が多すぎます」「そのような固定観念は禁物です。

判断を誤ります」と使い、「あきらめ」という意味では「そろそろ観念する潮時だな」「犯人は観念してすべてを話した」「いい加減に観念したらどうだ」「観念論と唯物論」などと使います「観」も「念」も「思う・心に留める」などの意味を持ちます。

「あきらめ」は止めること
「あきらめ」は「もう駄目だから、やめよう」「これ以上はやっても無駄だ」と言うことを意味し、途中で物事を断念することです。

また、将来を見通して何かをしようとする意欲が無くなることも意味します。

「人間、あきらめが肝心だ」「年を取ると自然にあきらめの心境になるものだ」「あきらめてはいけない。

がんばろう」などと使います。

「観念」は他人に言われ自分でする「あきらめ」
「観念」するとは犯罪者が追及を受けて、逃げられないと思いする行為で、「観念した」と言うことは「あきらめが付いた」「もう駄目だと思うこと」「無駄な努力はもうするまい」と思うことです。

自分では自然に思い至らないもので、他人に強く迫られて仕方なくするものになります。

「この証拠が決め手になり、容疑者は観念したようだ」などと使います。

「観念」と「あきらめ」

「観念」は「自分の考え・思い」と言う意味と「あきらめる」と言う意味があります。

また、「時間の観念」「固定観念」「観念論」などの言葉もあります。

「あきらめ」は「無駄・駄目・断念」などのことを意味します。

また、人間は人生の終末を迎えると「諦観」と言うあきら感が自然と湧いてくるものです。

「永くて短い人生だったが、これ以上することもない。

もうそろそろ死んでも良い」とあきらめることです。

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