連帯は「あることで気持ちが同じになること」。

「同調」と言い換えると分かりやすい。

連座は「あることで同罪と見做されること」。

「同罪」と言い換えると分かりやすい。

連対は「連帯感」と言うことで、一つの考えに皆が結集することです。

連座は「連座制」と言う規則があり、下のものの罪は監督する者の罪とする制度のことです。

「連帯」は同じ気持ちになること

「連帯」はあることで皆が同じ気持ちを持って行動することです。
またて、同じ責任を分かち合う場合にも使われます。

例えば「政府の横暴な政策に反対するために、皆、連帯して立ち上がろう」「苦難があったが皆連帯感があったので乗り越えられたのだ」「この負債はあなたが連帯保証人になっているので返済の責任があります」などと使います。

「連座」は監督者に責任を問う制度

「連座」はある人が罪に問われた場合、その人を監督している立場の人にも同じ罪が問える制度で、同罪となり社会的地位を奪うことが出来ます。
例えば「暴力団の組員が犯した重罪は組長も同罪となる」「秘書が実刑判決を受けると、議員は議員資格剥奪となります」などと使います。

主に選挙違反の場合に適用される制度で、議員の最終責任を問い、監督責任があるとしたものです。

検察は国民との「連帯」感を持って、政治家の汚職が「連座制」適用になるよう頑張る。

告訴された政治家の秘書の選挙違反事件は、検察の手に委ねられました。

検察は何とか立件して裁判に持ち込みましたから、本丸の政治家の責任が問える「連座」制適用に向けて頑張ります。

それらの動きはマスコミも国民も「連帯」感を持って見守っています。

その結果、秘書は実刑となり議員は監督責任を問われ、失職することになりました。

「連帯」と「連座」が似ている点は。

「連帯」はあることに関して、多くの人の気持ちが同じ方向に向くことです。

そのことを「連帯感」があると言います。

「連座」はある事件について、監督者にも同じ責任があるのではないかと言うことで「連座制」と言う制度があるのです。

つまり「連帯」は皆の気持ちが同じになること、一方、「連座」は監督者も罪が同じになることです。

おすすめの記事