そばは昔、そば粉をこねて団子状に練って焼いたり蒸したりして食べていたそうです。
麺のようになったのは16世紀後とだと言われそば切りと呼ばれるようになりました。
江戸時代に入り、そば切りを提供する蕎麦屋が増え人気となりつけ汁につけて食べるスタイルになりました。
せっかちな江戸っ子の中につけ汁につけるのを面倒くさがる人がつゆをそばに直接かけるぶっかけそばが誕生しました。
このぶっかけそばと区別するためにつけ汁につけて食べるそばを(もりそば)と呼ぶようになったと言われています.
(ざるそば)とは
江戸の中期、ある店が他の蕎麦屋との差別化を図り、竹ざるに盛った(ざるそば)をだすようになったそうです。
こお竹に盛った(ざるそば)が人気となり、次第に他の店でも真似て、ざるそばをだすようになったそうです。
当時は器にざるを使うかどうかでこの器以外で区別されるようになったのは明治ごろだと言われています、(ざるそば)は明治頃高価だったみりんをつけ汁に加えたりそばの実の中心部分を使用するなどして高級なそばに位置つけたそうです。
更にもりそばと区別するようにのりをかけて出すようになったと言われています。
(もりそば)とは
そば粉とつなぎ(わり粉)である小麦粉を強いコシが生まれるまでしっかりコネあげて、細くきったものをお湯に入れ茹で上がったそばを水で冷やして器に盛り、これ(もりそば)にかつお節でとった出汁でつゆを作りそのつゆにつけて食べるそばを(もりそば)と言うようになりました。
江戸時代から庶民に親しまれ広がっていった食べ物です。
(もりそばよりざるそばが高級?)
江戸時代に人気になった(ざるそば)はそのままでは(もりそば)と代わり映えがしなかった。
(もりそば)と差別化するために(もりそば)より高級感を出すことが重要だったという。
そのために、つゆの質を良いかつお節を使用することになりました。
逆に、(もりそば)のつゆは質の落ちるかつお節を使用する店が多くなったという。
現在はカツオの質が良くなっているのでつゆを分ける必要がなくなり(もりそば)と区別するためにのりを上にのせているそうである。
ざるそば専用派?使い分け派?
NHK放送文化研究所ウェブアンケート、2010年での結果によると。
ざるそば専用派は平均35%で男性27%、女性42%でした。
(ざるそば)と(もりそば)を使い分ける派は平均34%で男性42%、女性27%でした。
年齢別で見ると、10代では(ざるそば専用派)54%、30代で(ざるそば派)と(使い分け派)は30%台、40代以降になると(使い分け派)が40%台で逆転して(ざるそば専用派)を上回りました。
年齢が上がるにつれてざるそばともりそばの違いが分かってくるので使い分けが増えているようです。