馬に念仏を聞かせても、そのありがたさを馬は理解できず、少しも効果がないことから、ありがたみのわからないことのたとえとして使われることわざです。

人の忠告や意見に耳を貸そうとしない、愚かな様子を表します。

主に、人の意見や忠告に聞く耳を持たない人意見や忠告を理解できない人を批判する場面に使うことわざであるため、マイナスな意味合いを持ちます。

「馬の耳に念仏」の由来

お坊さんが、いくらありがたい説教をしても念仏を唱えても馬には何もわからない。

ということから、言い聞かせてもその価値がわからないさまや無駄なことを「馬の耳に念仏」というようになりました。

その為、無意味なことという意味も併せもっています。

「馬耳東風」ということわざが「馬の耳に念仏」のことわざの由来です。

「馬の耳に念仏」の由来の馬耳東風とは

「馬耳東風」とは、人の意見に耳を貸さないことという意味を表し、中国の詩人である李白の詩が出典です。

馬耳とは馬の耳のことで東風とは東から吹く春風のことです。

東風は馬耳を射るがごときとは、馬の耳に風というように聞き流されてしまう様子を表しています。

「馬の耳に念仏」の類義語には他にも「豚に真珠」「猫に小判」がある。

「馬の耳に念仏」の例文

・彼には馬の耳に念仏のようで、何度注意しても片づけをしなかった。

・あいつになにを言っても馬に念仏だ。

・今日の講演会の内容はとても難しく、私には馬の耳に念仏だった。

・あなたにとって面白い競馬や競艇の話は私は興味がなくわたしには馬の耳に念仏だ。

・馬耳東風かもしれないが、一応あの人に話してみるのはどうだろうか。

「馬の耳に念仏」の英語表現

・A nod is as good as a wink to a blind horse.(目に見えない馬にうなずいても目配せても同じことだ。

とありやっても無駄な相手に行動を示しても無駄であるといういみで使用されています。)

・In one ear and out the other.(ひとつの耳に入ったら片っぽの耳からすぐに出て行ってしまう。

つまり、話をきかないということです。)

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