大快人心は「多くの人の心を喜ばせる、皆の気持ちをすっきりさせる状況であること」。
世の中的に多くが喜ぶような、気持ちがすかっとするような出来事があったときに使う言葉です。
痛快無比は「比べようのないくらい愉快である、楽しくてでたまらないこと」。
痛快と言えるような、気持ちがすかっとする出来事に遭遇したシーンで使っていく言葉であると言えます。
「大快人心」の意味
大快人心とは、多くの人の心を喜ばせる、皆の気持ちをすっきりさせる状況であることです。
多くの人たちをすっきりさせることができればいいので、それ自体よくない出来事と言えるものであっても構わないのです。
世間で嫌われている人物が死んだとか、そういうケースでも本当に多くが快感を覚えているならば、この言葉を使用することができると言えるでしょう。
「痛快無比」の意味
痛快無比とは、比べようのないくらい愉快である、楽しくてでたまらないことです。
痛快と言えるような場面であれば、幅広く使っていくことができます。
とにかく自分が楽しい、愉快と言えるようなシーンであれば使うことがしやすいでしょう。
だから、使用頻度はかなり高いと言える可能性が考えられ、日常の中において何度も使うシーンは出てくると言えるはずです。
「大快人心」と「痛快無比」の用法や用例
「有名人のスキャンダルというのは多くにとって、ある意味爽快なものだろうな。
地位も富も持っている人物が国民に対して申し訳なさそうに頭を下げるわけだから。
まさに大快人心のような光景だ。」
「今日は俺が大嫌いなチームが大敗を喫した。
これほど愉快な日はないだろう。
本当に痛快無比な状況で、明日も負けてくれるといいんだけどな。」
大快人心と痛快無比はどちらも気分がいい状況
大快人心と痛快無比はともに特定の人たちにとって気分がいいと言える状況で使っていきます。
大快人心は基本的には大勢の人たちが対象になっていますが、痛快無比については個人であっても使うことができます。
そういう違いはありますけど、誰かにとって爽快である、愉快であると言えるような場面で使用するので、似たような言葉です。