延頸挙踵は「優れた人や特定の状況の到来を待ち望むこと」。
そういった人や状況がなかなかやってこないときに使う言葉です。
首を長くして、つま先で立つような状況をイメージすると分かりやすいです。
延頸鶴望は「強く待ち焦がれること」。
延頸挙踵に似たような意味ですけど、こちらの方がやや抽象的な意味であると言えるでしょう。
でも、同じような場面で使える言葉です。
「延頸挙踵」の意味
延頸挙踵とは、優れた人や特定の状況の到来を待ち望むことです。
首を長くして、つま先で立つという動作を表した言葉であり、それはまさに何かを待っている状況と言えるでしょうから、意味は理解しやすいかもしれません。
ただ、優れた人や望んだ状況の到来を待っている状況で使用するため、使用できる場面はやや限定的と言えるので、そこについては覚えておきましょう。
「延頸鶴望」の意味
延頸鶴望とは、強く待ち焦がれることです。
延頸挙踵との違いはほぼないと言えるでしょう。
ただ、強く待ち焦がれるという意味を示しているのみなので、何を具体的に待っているのかという部分は不明です。
だから、その点に関しては延頸挙踵と比べてもやや抽象的と言えるので、そこは知っておく必要があるでしょう。
使用頻度は大して変わらないと思われる状況と評価できます。
「延頸挙踵」と「延頸鶴望」の用法や用例
「うちの会社はどうも無名だから、それ相応の人材しか応募してこない。
いつしかむちゃくちゃ優秀な人間が来てくれることを願うばかりだ。
延頸挙踵の気分だよ。」
「将来、自分はどんな人生を送っているのだろうか。
できれば幸せな家庭を築いていきたいものだが、今はそんな延頸鶴望な思いばかりが頭をめぐっている状況だよ。」
延頸挙踵と延頸鶴望はともに何かを願うこと
延頸挙踵と延頸鶴望は意味が似ていると評価できるでしょう。
延頸挙踵は優れた人物や特定の状況を待ち望むことであり、延頸鶴望は何かしらの状況を待ち焦がれるという意味なので、それぞれの意味は大して変わりません。
同じような意味として使っていくことができると思われます。
表現もかなり似ているので、区別しにくい言葉と覚えておくといいです。