名古屋城は「御三家筆頭の尾張徳川家の居城のこと」。

「金鯱」と言い換えると分かりやすい。

名護屋城は「文禄の役のために築かれた城のこと」。

「朝鮮出兵」と言い換えると分かりやすい。

歴史に出て来る二つの城は名前が同音異義語になっています。

どちらも「なごやじょう」と読みます。

「名護屋城」は秀吉の朝鮮出兵の足がかりとして築かれた九州にあった城です。

「名古屋城」は「尾張名古屋は城で持つ」の城のこと

金の鯱で有名な「名古屋城」は徳川家康により天下普請により築城されています。

以後、尾張徳川家の居城となりましたが、明治維新で廃城の危機になったものの保存が決められ、幾多の変遷の後現代に至ります。

現在は名城公園として保存がなされています。

特に本丸御殿は近年に再建され、当時の絢爛たる様子が分かるものになっています。

「名護屋城」は九州の城

「名護屋城」は豊臣秀吉の命で建てられた、朝鮮出兵のための足がかりの城です。

築城は文禄・慶長の役のために加藤清正に命じて作らせたものです。

現在は石垣のみが残っています。

場所は現在の佐賀県唐津市になり、秀吉の明征伐の野望のためにも築かれたもの。

李氏朝鮮が明征伐を拒否したことから朝鮮征伐となったものです。

秀吉の死後、唐津城に移築となったと言われています。

「名護屋城」は秀吉、「名古屋城」は家康の城

「名護屋城」は秀吉の大陸進出の足掛かりとして作られたものですが、朝鮮が服従しなかったことから、先に朝鮮征伐の目的に使われました。

たまたま「名護屋」と言う地名が、秀吉の地元「那古野」と同じ名前であったことから、築城をしたと伝えられています。

「名古屋城」は大坂の陣の頃、家康により築城されたもので、尾張徳川家の居城として長い期間使われました。

「名古屋城」と「名護屋城」とは

「名古屋城」と「名護屋城」は同音ですが、秀吉が那古野、今の名古屋出身であったこととも関係しています。

「名護屋城」は九州の出城の様な性格の城であり、朝鮮征伐の足がかりであった訳です。

現在では石垣のみが残されています。

「名古屋城」は家康により天下普請で建てられた立派な城です。

現在は保存や一部本丸御殿の再建がなされました。

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