呵責は「責めて苦しむこと」。
誰かを責めて、苦しめるという意味で使えますが、たいていは自分を対象にすることが多いです。
自分で自分を責めて、苦しませるといった状況で使います。
自責は「自分で自分を責めること」。
呵責と同じ意味ではないものの、実際は同じような場面で使っていくことが多いと言えます。
ここはポイントです。
「呵責」の意味
呵責とは、責めて苦しむことです。
誰かを責めたうえで、苦しめるというケースで使用する言葉になりますが、基本的にはその対象は自分になります。
自分が何らかの部分で苦しんでいるケースで使いますが、責任を感じているときに使用することが多いです。
良心の呵責などの言い方はかなりメジャーですし、多くが知っているはずです。
「自責」の意味
自責とは、自分で自分を責めることです。
意味としては呵責にかなり近いのではないかと思われます。
同じようなシーンで使える表現になるので、そこはポイントになるでしょう。
自責の念などの言い方は有名です。
また、野球では自責点という言い方をする場合もあります。
だから、いろいろな使い方ができる言葉になると言えます。
「呵責」と「自責」の用法や用例
「呵責という感覚は多くが少なからず感じるものではないだろうか。
何らかの責任を感じてしまうケースは普通にあると言えるだろう。
時間が経過することで、そういう感覚が薄らいでいくこともあるが。」
「自責の念を感じているときには、人間は精神的にかなり辛い状況であると言えるだろう。
そういう状況はたまにはあると思われるんだよ。」
呵責と自責は似たような意味の言葉
呵責と自責は似たような意味であると言えると思われます。
明らかな意味の違いはないと思われるので、そういったところは頭に入れておきましょう。
両者は知名度においても同じような状況となっており、全体的に区別がしづらい状況でしょう。
こういった言い方は自分で使うようなケースもそれなりに多くあるのではないかと思われます。