思い込むは「あることを本当だと思うこと」。
「思考」と言い換えると分かりやすい。
信じ込むは「あることを本当だと確信すること」。
「信心」と言い換えると分かりやすい。
思い込むはあることが正しいことと考えることや、あることをしてみたいと考えることです。
信じ込むはあることを確信すること、人を信頼すること、信仰を持つことなどを言います。
「思い込む」は信じること
「思い込む」は、正しいことまたは間違っていることなどを一定の判断をしたならば、そのことを信じることです。
それが仮に間違っていても権威ある立場の人や国が言えばそうと考えるのが普通です。
誤った教育がなされれば、当然そのように信じることは止むを得ません。
信頼出来る人や国などは正しいことしか言わないという前提が信じられているからです。
「信じ込む」は確信的な思い込み
「信じ込む」は「思い込む・信じる」より強い気持ちです。
いったんそうと思ったら、「信じ込む」ことがなされるのですが、宗教は別として、誤った情報を鵜呑みにする危険性など考えもしないことがあります。
「信じ込んだ」ことを根拠に、他人を中傷誹謗することはあってはならないことなのですが、世の中にはそのようなことが現実に起きているのです。
「思い込む」や「信じ込む」はリスクあること
「思い込む」ことや「信じ込む」ことの危険性は言うまでもありません。
それが正しければ良いのですが、本当なのかと言う検証がないとリスクを伴うことがあります。
もし、間違っていたらどのようにするのでしょうか。
検証は個人的にして納得するより他はありません。
もっとも「思い込む」人や「信じ込む」人たちは言いなりに妄信する愚かさを持っているので、検証することなど毛頭ないのかも知れません。
「思い込む」と「信じ込む」とは
「思い込む」は人から言われること、教育を受けること、自分で判断することなどである事柄を、正しいものと考えてしまうことです。
「信じ込む」はもっと確信的に考えていることで、簡単には考えを変えることは困難なのです。
宗教は道徳的なものなので「信じ込む」ことは当たり前のことなのですが、一般的にはとても危険性のある行為なのです。