老婆心は「高齢者のする迷惑とも思えるおせっかいのこと。」

「迷惑親切」と言い換えると分かりやすい。

親切心は「相手のことを思い行う善意なこと」。

「善意」と言い換えると分かりやすい。

老婆心は頼みもしないのに、他人が自分の言動に影響が出ることを言うことです。

親切心も同様ですが、乞われて言う場合や自分のことを良く知っていて言う場合などで、おせっかいとは違います。

「老婆心」を使うなら、目下の人間にする。

「老婆心」はおせっかいなことですから、決して目上の人には使いません。

使うなら目下の人間に忠告の形で使います。

迷惑親切のことですから、余計なこととは感じても、全く無視は出来ない厄介なことなのです。

その通りにするかは自分の勝手ですから、聞くだけ聞いてお礼をしておくのが無難と言うものです。

例えば「まだ独り身なら、だれか世話をしようか」と言われたら、いやであっても、お礼の言葉を述べてお断りするのが礼儀です。

「親切心」から出る忠告は聞くべきもの

「親切心」は善意の忠告です。
老婆心とは少しばかり異なる点は、自分のことを理解しているかどうかと言う点です。

ですから「親切心」から出た人の忠告や行動は自分にプラスとなるものですから、決して無碍には出来ないものです。

例えば「まだ独り身なら誰かを世話しようか」と言われたら、気が進まなくても受けておくと良い結果になるかも知れません。

「老婆心」と「親切心」は似ている。

「老婆心」は親切めかして迷惑なことを言われることですから、いやな感じがします。

「親切心」も善意から出たものなら、分かりますから気持ち良いものになります。

どちらも他人から受ける似たような言動なので、自分で判断するしかありません。

「あの人が好きなら話してあげようか」はおせっかいで迷惑なことですが「あの人が好きなら、それとなくあなたのことを話題に出してみましょうか」は親切心からの提案なのです。

「老婆心」と「親切心」

「老婆心」は目上からの忠告に使われます。

「老婆心ながら言うけれど・・・」と使い、おせっかいな面が感じられることもあります。

「親切心」から言われることでも「老婆心だが・・・」と言うこともありますから、その時の雰囲気で判断することになります。

目上の忠告はほとんど「親切心」と思えば間違いないようです。

「老婆心」とは迷惑なことを親切がましく言われることです。

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