世間一般に広く認知されている「固定観念(こていかんねん)」「先入観(せんにゅうかん)」を意味する言葉です。
語源はフランス語から来ています。
この言葉は時に人やものを一般化し、浅く決めつける価値観を裏付ける印象があることから、あまり肯定的には使われないようです。
多くの人が抱くイメージを共有することから来ており、主体的な観点を欠いている言葉と言えます。
社会の中で形成された型どおりの考え方、捉え方、紋切り型のイメージなどを指します。
日本語の「ステレオタイプ」は英語やフランス語の「stereotype」から来ています。
この言葉は印刷で使用されていた「ステロ版」が語源です。
ステロ版の印刷は型抜きして作られていました。
その様子からこの言葉は「型どおり、紋切り型」という意味に派生しました。
また、個性がなく面白みがない、といった意味合いも含んでいます。
「イタリア人がみな陽気だ」という友人に対して、「それはステレオタイプだ」と指摘する。
一口でイタリア人といってもいろいろなタイプの人がいます。
陽気な人がいれば、静かな人もいます。
また、たとえ先天的にそのような性格を持ち合わせていても、状況次第では暗く悲しく振舞うこともあります。
そのような個人の特質を無視し、ただ「イタリアの人は明るい」というメディア等に形成されたイメージのもとで、このようなことを述べるのは、「イタリア人とはこういう人だ」というステレオタイプを持っていることを意味します。
東京の人は冷たいというステレオタイプを、田舎の人は抱いている。
「東京」や「都会」に関するイメージはマスメディアや人からの伝聞で形づくられます。
実際の東京の姿からは遠く離れて生活している田舎の人たちは、このイメージによって想像するしかなく、なかなか主体的な感覚をもとに東京を語ることは難しいです。
よって、東京のステレオタイプを通してしか、東京を知るすべがないのです。
その考えは、本当に自分が経験し感じたことですか?もしかするとそれはステレオタイプかもしれません。
ステレオタイプは社会一般の情報源により形成された、「共有のイメージ」です。
ステレオタイプは単純に説明されます。
それは物事を理解するうえでわかりやすく簡単だからです。
自分の知らないものや人を理解しようとして、ステレオタイプを抱いてしまうのは仕方のないことです。
しかし、あくまでもステレオタイプであると自覚し、安易に自分の主体的な判断の価値材料とは別物であることを、自覚しておいたほうがよさそうです。