「最後の晩餐」とはある人物や集団が死の前に口にする、最後の食事のことを指す言葉です。
新訳聖書において、イエス・キリストが処刑で命を落とす前、弟子である十二使徒と共に食事を執った事例が元であると言われており、世界中の文章や小説の中で使用されている表現です。
相手がキリスト教徒でなくても意味が通じる、極めてポピュラーな言葉であると言えるでしょう。
「最後の晩餐」の意味
晩餐とは夕食のことで、ある人物、もしくはグループが口にする、生涯最後の食事のことを指す言葉です。
新約聖書、マルコによる福音書14章27節伝において、イエス・キリストは弟子たちとともに夕食をとります。
彼はその翌日に処刑されるのですが、自身の身に起こる悲劇を予見しており、弟子達の中に裏切り者が発生すること(ユダを指す)や臆病風に吹かれる弟子も現われる(ペトロを指す)ことを一同に告げます。
こうした情景が「最後の晩餐」という故事として後世に伝わっているのです。
「最後の晩餐」の使い方
この言葉は誰かが死を迎えた際、あとから振り返って、その直前か比較的近い時期に食事を取っていた場合によく使用される表現です。
当然ながら、食事を取っていなかった場合は当てはまりません。
キリストの故事のように、食事の翌日に死ぬ場合にしか該当しない表現ではありませんが、あまり食事から死の間隔が開いているとニュアンスがおかしくなってしまいます。
「最後の晩餐」の例文
「吉田はその夜、ステーキを食べた。
それが彼にとっての最後の晩餐になった」というような使い方をすることで、食事をとる余裕があった人物が直後にあっけなく死を迎えてしまうというような儚さをかもし出すことが可能になります。
「ステーキを食べた。
翌日、彼は死んだ」だと無味乾燥なイメージの表現になりますが、「ステーキを食べた。
それが彼にとっての最後の晩餐になった」だと悲劇や運命の悪戯を強調する効果が生まれます。
文学・絵画の題材としても有名
最後の晩餐は、文学作品や絵画にも取り上げられることが多い題材です。
最もポピュラーなのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画でしょう。
故事のように晩餐の席に死の原因となるようなユダが含まれているとは限りませんが、この表現を挟み込むことで、死の予兆とその原因がすでに発生していたことを暗喩することが可能です。