魚心あれば水心ありは「相手が好意を示すことで、自分も相手に対して好意を持つことになること」。
こういうケースは現実的にそこそこあると言えるでしょう。
君心あれば民心ありは「君主が人民を慈しむことで、人民も君主を敬ったり、慕うものであること」。
意味は魚心あれば水心ありとかなり近いです。
意味における差はあまりないです。
「魚心あれば水心あり」の意味
魚心あれば水心ありとは、相手が好意を示すことで、自分も相手に対して好意を持つことになることです。
現実的にあり得る状況であり、使うことができる可能性は十分にあります。
また、知名度的にはそこそこ高いと言えるはずです。
知っている人は結構多く存在していると言える可能性がありますから、ちゃんと覚えておいた方がいいです。
「君心あれば民心あり」の意味
君心あれば民心ありとは、君主が人民を慈しむことで、人民も君主を敬ったり、慕うものであることです。
意味としては魚心あれば水心ありに近くなっているので、同様のシチュエーションで使うことが可能であると言えるでしょう。
しかし、こっちの言い方はマイナーです。
知っている人はかなり少なくなっていると評価できるのです。
「魚心あれば水心あり」と「君心あれば民心あり」の用法や用例
「魚心あれば水心ありというのは、現実的な言葉だと思う。
実際にそういう部分を体感したことがある人は、世の中ではそれなりに多くいると思うんだよ。」
「君心あれば民心ありという言葉があるように、まずは君主が人民をきちんと慈しんでいく必要があるだろう。
そうすれば、逆に人民が君主を敬うようになるかもしれない。」
魚心あれば水心ありと君心あれば民心ありは意味はかなり近い
魚心あれば水心ありと君心あれば民心ありは意味はかなり近いと言えます。
これらの言葉は同様の意味を持っているので、そこは重要です。
でも、魚心あれば水心ありと比較すると、君心あれば民心ありに関しては、ちょっとマイナーな言い方であり、知名度は大分低いです。
それだけ使用頻度も低くなっていますから、ちゃんと覚えておきましょう。