クリスマスは12月24日の夜がクリスマス・イブで、25日をイエス・キリスト生誕の日としてキリスト教徒がお祝いする日になっています。
しかし、実は本当はイエス・キリストが生まれた日ではないということなのですね。
それならばなぜこの12月25日が誕生日、クリスマスになったのでしょうか?それには理由があったのですね。
ヨーロッパにキリスト教を広めようとした
キリスト教がヨーロッパに広まる以前は、ヨーロッパの人々は神話や土俗の宗教を信仰していました。
キリスト教は、そういう人たちが冬至の時期のお祭りとしてお祝いする12月25日を、「じつはイエス様のお誕生日なんだよ」と関連性を付けたりして、じわじわとキリスト教に改宗させていったのですね。
実際、イエスが生まれた砂漠地帯のイスラエルのナザレは、12月は寒いので聖書に出て来るように羊飼いが外にいたとは考えられない、本当の誕生日はもっとあったかい秋だろうと言われています。
レシピの量は昔は5人分、今は4人分に
お料理本にあるレシピの分量は、作りやすい分量としてお料理の先生が考えられたものです。
昔は家族の数が多かったので5,6人分となっていましたが、20年くらい前から核家族、少子化のために4人分とか2人分に変更されています。
また、減塩とか糖分や油控えめなどヘルシー志向のために、お料理の先生は昔ながらの梅干しの作り方も減塩で取り組み焼酎などを入れて工夫を凝らしておられるようです。
お料理も時代によって変わってくるのですね。
今の大阪城は豊臣秀吉が建てたものではない
サミットが行われたばかりの大阪ですが、大阪城といえば豊臣秀吉と言われるほど有名ですよね。
しかし豊臣秀吉が建てたヴァージョンの城は大坂夏の陣で焼失してしまったので、徳川家康が全部埋め立てて一から石垣を積み上げさせて大名たちに命じて天下普請で建てたものなんです。
今の天守閣は昭和に建てられたものですが、豊臣秀吉時代とは全く違うことはあまり知られていないですね。
一富士二鷹三茄子は家康の好きなものだった?
一富士二鷹三茄子は、初夢に出て来ると縁起がいい夢と言われますが、徳川家康と関係があるという説もあります。
徳川家康は、晩年、亡くなるまでを駿府城で過ごしたのですが、富士山と鷹狩と茄子が好物だったというのですね。
家康は天下をとって江戸幕府を開いたという、出世の鏡のような人なのでそういう人が好んだものが縁起がいいとされたのかと考えるのも間違いではないと思います。