奇跡は「この世ではあり得ない人の力を超えた出来事のこと」。

「不可思議」と言い換えると分かりやすい。

神業は「人の及ばない神の仕業のこと」。

「神がかり」と言い換えると分かりやすい。

「奇跡」も「神業」もこの世には起こり得ないものですが、人間社会ではそれに近いこともあり、譬えとして使われます。

また、宗教と結びついている場合は「奇跡」はあるとされます。

「奇跡」は神が行なうこと

キリスト教では「奇跡」が信じられています。

「奇跡」自体はこの世のものではないので、起きないのですが、不思議な出来事は「奇跡」が起きたと信じられています。

また、それに近いこと、大変に珍しいことなども「奇跡」と言う言葉で比喩されます。

「この年まで生きられたのは奇跡としか思えない」「大事故で死ななかったのは奇跡だ」などと使います。

「神業」は神の様な優れた行いのこと

「日本では「奇跡」より「神業」の方が使われるようです。

「神業」も神の所業なのでこの世にはないものですが、優れた行いや行動、不思議な出来事などを「神業」と言う言葉で比喩することはあります。

「一流の体操選手は神業のように難易度の高い技をこなした」「まるで神業のように那須の殺生石が真っ二つに割れた」「将棋で何百手も読むことは神業としか言いようがない」などと使います。

「奇跡」も「神業」も比喩用語

「奇跡」や「神業」は本当には存在しないものです。

神が行なうことですから、当然です。

しかし、「これは奇跡のようだ」「これは神業に近い」などと比喩的に使われることは多いのです。

とりわけ珍しい出来事や大変に優れた行いなどに良く使われます。

「飛行機の墜落事故で生き残りがいたことは奇跡だ」「神業の様な優れた工芸品」などと使います。

「奇跡」と「神業」とは

「奇跡」は神が行った所業のこと、宗教的には本当に起きたことを言う場合があります。

普通は、「奇跡」は大変に珍しい出来事や「不思議な出来事」に比喩として使います。

神業」も同じように使い、優れた技量のことで良く使います。

「ヘレンケラーは奇跡の人と言う映画になっている」「鉄棒で神業的に技を連発して優勝した」などと使います。

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