しみったれるは「けちけちする、物惜しみすること」。
要するに自分の損に敏感であり、どうしてもいろいろな場面でけち臭い面が出てしまうような人に対して使います。
吝嗇は「極度に物惜しみすること、非常にケチであること」。
意味はしみったれるとかなり近いものの、極度に物惜しみするという状況なので、しみったれるよりもさらにケチであるケースで使う言葉と言えます。
「しみったれる」の意味
しみったれるとは、けちけちする、物惜しみすることです。
自分が損したくないという感情が強く、そういった部分に関して非常に敏感であるときに使う言葉と言えます。
でも、ケチという言葉がかなり有名なため、しみったれるという表現を使う機会はあまり多くありません。
日常生活において、見聞きする機会もほとんどないと言えるでしょう。
「吝嗇」の意味
吝嗇とは、極度に物惜しみすること、非常にケチであることです。
意味はしみったれるに似ています。
しかし、ケチである程度がより上であると評価できるのです。
したがって、そこで区別をしていくべきと言えるでしょう。
でも、吝嗇に関してはそもそも言葉がかなり難しいです。
聞いたことがないという人も世の中にいるのではないかと思われます。
「しみったれる」と「吝嗇」の用法や用例
「しみったれる性格をしていると、他人に嫌われやすい。
どうしてもケチな側面が見られると、人間的に敬遠したくなると感じる人は世の中に多くいるからな。」
「あまりにもケチだとさすがに引くけど、まさにあの人はそんなタイプの人間に見えてくる。
吝嗇という言葉がぴったりと言えるような、それくらいに物惜しみが過ぎるよ。」
しみったれると吝嗇は程度の違い
しみったれると吝嗇はどちらもケチであるという意味で使う言葉です。
だから、意味に関して違いを見出すのは難しいと感じるでしょう。
ただ、実際は吝嗇の方がケチの程度が上なので、そこで違いを認識する必要があります。
また、しみったれるはたまに見聞きしますけど、吝嗇はほとんど聞かれない可能性が高く、その点も違いとして覚えておきましょう。