賢くないは「相対的に考えて賢くないこと。」
「相対的視点」と言い換えると分かりやすい。
馬鹿は「絶対的視点から考えて馬鹿のこと」。
「絶対的視点」と言い換えると分かりやすい。
「馬鹿」と言われるより「賢くない」と言われる方が良いことは明白です。
自分でも「馬鹿」と思う人も「賢い」とは思いません。
しかし、「馬鹿」と言われれば腹が立ち、「賢くない」と言われれば、納得するのです。
「賢くない」は相対的、客観的な言い方
「賢くない」は角が立ちませんし、何かユーモアを感じる言葉です。
それは相対的で客観的な表現だからです。
「馬鹿」と決めつける表現はどのような場合でも避けるべきです。
相手に「馬鹿」と言いたいときは「お前は彼よりは賢くないな」と言えばよいのです。
この比較表現は「馬鹿」より「賢い」方に近いと思われるからかも知れません。
「馬鹿」は絶対的、主観的な表現
「馬鹿」と言われて良い気持ちになる人はいないでしょう。
どんな「馬鹿」な人ですからでも自分は「少しは賢い」と思っているのです。
ですから、「お前は彼より賢くないな」と言われれば「そうですね」と言えるのです。
つまり、総じて絶対的、主観的な言い方で決めつけることは避け、相対的、主観的な言い方にすれば人間関係は角が立ちません。
「賢くない」と言う客観的表現と「馬鹿」と言う主観的表現とは
「賢くない」はポジティブなことを否定していますから、本来は良い気持ちにはならないのですが、ユーモアが感じられるので、帳消しになるのです。
「馬鹿」と言う決めつける言葉はユーモアがありません。
笑いながら「馬鹿ねぇ」「お馬鹿さん」と言うこととは違います。
比較できるものがない言い方のため、言われた相手は傷つくことになります。
「賢くない」と「馬鹿」とは
「賢くない」も「馬鹿」も同じ事を言っているのですが、言われる人には印象がかなり違って聞こえます。
それは客観的か主観的か、相対的か絶対的か、比較できるか決めつけるかなどの違いによります。
総じて、人間関係は決めつける言い方はタブーとなり、ユーモアのある客観的な言い方が良いのです。
「馬鹿なやつだ」と言いたくても、「余り賢くはないな」と言えば良いのです。