見るは「何気なく視覚から入ってくるものを認識していること」。

「認識」「注視」と言い換えると分かりやすいです。

観るは「ある目的の物を意識して見ること」。

「観覧」「見入る」と言い換えると分かりやすいです。

見るは実に多様な意味で使用されていますが、一義的には視覚を通して認識することになります。

観るは「観戦」「観劇」などあるイベントを見ることです。

見るは目で認識することですが多くの意味にも転用されています

見るは単に目に映ったものを認識することばかりではなく、多くの意味に多用されています。

「見る」から派生した言葉には「視る」「観る」「診る」「看る」などが挙げられ、それぞれ使われる意味が異なりますが大きな意味では「見る」という大きな範疇に入ります。

「見るものが欲しくなる」「窓から街の景色を見た」「鳥が空を飛ぶ様子が見える」などと使います。

観るはある目的で意識して見ることです

「観る」はスポーツ観戦や芝居の観劇、美術品の観賞、観光など目的がハッキリしている行為で自発的、意識的に見ることです。

野球やサッカー、相撲などを観ること、歌舞伎や演芸を観ること、美術品や芸術品を観ること、旅行して目的の場所を観ることなどです。

「観る」は注意を払って見入る、見詰めるという意味が強いのです。

野球を観戦していたら、ホームランがあり球が外野スタンドに飛び込むのを見ることが出来た

「観る」には野球などを見て楽しむ目的があり「観戦する」と言いますが、観ていると打った球がスタンドまで飛んでホームランとなりました。

その球を目で追うことは「見る」行為になります。

野球自体は「観る」行為となり、球や投手、打者、球場全体、観客、ボードのスコアや次の打者は誰かなどは「見る」を使います。

試合の経過も「見る」行為です。

「見る」は自然に、漫然と目に入ることで「観る」はある目的を持って見入ることです

「見る」は視覚から特に意識せず何気なく目に映ることです。

「黒板を見る」「好きな人を見る」など特に何かを見るということはありますが一時的なことです。

ある目的で見ることは「観る」を使います。

「野球の観戦」「芝居の観劇」「美術品や芸術品の観賞」「観光旅行」などある一定の時間を費やして「見入る」行為となります。

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