上手の手から水が漏れるは「どんなに上手な人であっても、失敗することがあること」。
完璧な人はいないという意味で使っていくことができる表現なので、そこは知っておきましょう。
河童の川流れは「その道の名人であっても、失敗することがあること」。
意味は上手の手から水が漏れると同じです。
でも、こっちの方が知名度は高いと言えるでしょう。
「上手の手から水が漏れる」の意味
上手の手から水が漏れるとは、どんなに上手な人であっても、失敗することがあることです。
物事を行うにあたって、一般的に達人と言えるような人であっても、ときには失敗することがある、完璧な人はいないという意味で使っていくことができると評価できるでしょう。
そこはきちんと理解しておきましょう。
知名度はやや低いでしょう。
「河童の川流れ」の意味
河童の川流れとは、その道の名人であっても、失敗することがあることです。
意味に関しては、上手の手から水が漏れると一緒です。
意味における差を見つけることは容易ではありません。
そして、知名度の箇所については、こちらの方が高くなっていると言えるでしょう。
この言い方は頻繁には使用されていないものの、かなり有名でしょう。
「上手の手から水が漏れる」と「河童の川流れ」の用法や用例
「上手の手から水が漏れるようなケースは一応あり得るだろう。
上手な人であっても、失敗しないと言える保証はないだろうし、常にミスをする可能性はあるわけだ。」
「河童の川流れとも言うべき光景は実際にあるだろう。
達人と評することができる人が、何らかのミスをしてしまうことは一応あると言えるんじゃないかと思うんだ。」
上手の手から水が漏れると河童の川流れは知名度に関して差がある
上手の手から水が漏れると河童の川流れは意味としては全く同じです。
そういう部分で差を感じることはできませんから、しっかりと頭に入れておきましょう。
しかし、知名度的な部分では、それなりに顕著な違いがあります。
河童の川流れと比較したときには、上手の手から水が漏れるはややマイナーな言い方なので、ここは重要です。