看過は「抗議するべきことをせず黙って見過ごすこと」。
「見過ごし」と言い換えると分かりやすい。
黙認は「抗議すべきこともせず黙っていることで消極的に認めていること」。
「」と言い換えると分かりやすい。
「看過」も「黙認」もものごとを荒立てずに穏便に済ませる手段です。
「看過出来ない」や「黙認出来ない」は問題とするとの抗議をすることになります。
「看過」は穏便に済ませること
「看過」は「見過すこと」ですから、不味いと思っても問題視せずに穏便に済ませようとする姿勢のことです。
ですから「この件は絶対に看過することなど出来ない」と言えば、問題を表に出してしまう姿勢を示すことになります。
日本に不利益となることについては逐一相手国に抗議を行うことが必要となります。
それを怠ると相手は「黙認した」ととらえる恐れがあるからです。
「黙認」は文句を言わずに黙って認めること
「黙認」は消極的承認のことです。
積極的な賛成ではなく、やむを得ないと言うことで消極的ながら承認の姿勢を取ることです。
ですから、反対に考えれば「抗議しないことは黙認したこと」になりかねませんから、不利益なことは黙っていないで抗議するべきとなります。
周辺国から一方的に受ける不利益やリスクなどについてはその都度抗議をしなければなりません。
「看過」と「黙認」とは同じこと
「看過」と「黙認」は行うことで生じる結果は似たものになります。
しかし、使い方は正反対になり「看過」は「看過できない」と使い、「黙認」は「黙認する」と使います。
「見過すことが出来ないこと」は「看過できない」と使い、「見過した方が良いこと」は「黙認する」を使います。
ですから、逆の「看過する、黙認しない」と言う言い方はあまりしません。
「看過」と「黙認」とは
「看過」は「見過すこと、見逃すこと」などの意味になり、普通は「看過できない」と否定形が後ろにつく言い方をします。
「外国船の不法侵犯は看過することは出来ないので取り締まるか抗議をします」「大量の密漁船が押し寄せても対応が出来ないため、事実上、看過していることは憂慮すべきことだ」と使います。
「黙認」は「看過」に似ていますが、諸般の事情を考慮して問題にせず消極的ながら認める姿勢のことを言います。