故意は「そうなることを確信して行なうこと」。
「わざと」と言い換えると分かりやすい。
未必の故意は「そうなるかも知れないがそうなっても構わないと思い行なうこと」。
「もしかしたら」と言い換えると分かりやすい。
「故意」は確信的、意図的、わざと行なうことを言います。
例えば、殺そうと思い殺してしまうことです。
「未必の故意」は必ずそのようにはならないかも知れないが、そうなっても良いと考えて行なうことです。
「故意」は確信的なこと
「故意」は結果を確信していることです。
こうすれば必ずこのような結果になるということを確信して行なうことです。
「故意」は「わざと行なうこと」と言うと分かりやすく積極的な行為のことです。
事前に結果に確信を持つことでもあるのです。
「故意に人を殺傷する」「故意に人を中傷誹謗する」「セクハラやパワハラなどの行為は故意なのだ」と使います。
「未必の故意」は難しいもの
「未必の故意」は結果を確信していなくても、引き起こされる結果は予見できることを言います。
「わざと」までは言えないにしても、半分は「故意」と言える行為です。
「寝タバコによる失火は重過失を問われますが、未必の故意も疑われます」「予見できたか否かで未必の故意や重過失は判断が分かれることがある」などと使います。
「未必の故意」は「故意」
「未必の故意」は過失ではなく「故意」なのですが、限りなく重過失に近いものになります。
「結果の予見」がキーポイントになり、予見不可能なら過失や重過失となり、予見可能な状態であれば「未必の故意」が問われます。
「寝たばこによる火災は予見可能か」「ストーブの上に洗濯物を干す行為は火災を引き起こすか」と言うことを考えても難しさが分かります。
「故意」と「未必の故意」とは
「故意」は「わざと行なうこと」ですから分かりやすいことです。
しかし、「未必の故意」は「重大な結果を予見できたのにそれでも行なうこと」ですから判断は相当難しくなります。
「重過失」と「未必の故意」は判断が分かれることもあります。
特に失火やあおり運転などは難しい判断になります。
「あおったが、殺すつもりはなかった」と言われると難しくなります。