お上意識は「人の上にいる意識が強く、威張ること。」
「威張る」と言い換えると分かりやすい。
役人根性は「頭が固く、威張ること」。
「融通利かず」と言い換えると分かりやすい。
「お上意識」は法律に則り権限が与えられていることから、国民を下に見て威張ることですが、封建時代の「お上」と言う感覚があるように感じられます。
「役人根性」も威張ることです。
「お上意識」は最上階級意識
「お上意識」は江戸時代に有った士農工商の身分制度の名残として、意識に残っているものになります。
「自分たちは権限があるから偉いのだ」と言う意識のことで、「だから国民は平服しなければならない」となるのです。
昔の武士階級の様な意識と言えます。
一部の公務員に残っているものと思われます。
手厚い給与体系、福利厚生、年金制度などお手盛り感があります。
「役人根性」は杓子定規なこと
「役人根性」は融通が利かず、縄張り意識があるため、国民目線で物を考えることが苦手になります。
また、縦割り行政も厳然として存在し、管轄以外はやってはいけないと言う意識があります。
そのため、国民の立場は二の次となっているのです。
国民にとり一つの事柄でも、いくつかの法律が絡まり所轄の役所も部署も違うということです。
「お上意識」が「役人根性」を生む土壌
「役人根性」は権限が強いほど「お上意識」が強く、したがって「役人根性」も強いものになります。
権限の少ない小役人が威張ることもありますが、現場以外の上部組織はそのようなものを持っているようです。
「人徳のある人が役職になるとは限らず、威張り散らす人も結構いる。
きっとお上意識や役人根性が強いのだ人なのだろう」と使います。
「お上意識」と「役人根性」とは
「お上意識」は江戸時代の士農工商制度の名残で、権限を持つ役人が威張っていることです。
「役人根性」は縄張り意識が強い余り、融通が利かず杓子定規なことをすることです。
どちらも、国民の立場からは困ったものになり、「公僕」としての意識が少ないことは、硬直化した社会になりかねません。
また、汚職や贈収賄の温床にもなります。