苦渋は「苦しい気持ちのこと。」
「気持ち」と言い換えると分かりやすい。
苦汁は「苦しい行為のこと」。
「行為」と言い換えると分かりやすい。
苦渋も苦汁も「苦しいこと」です。
苦渋は心に感じる苦しい思い、苦汁は肉体的に苦しい行為となります。
「苦渋は心が渋るほど来るしい気持ち」「苦汁は体が汗をかくほど苦しい行為」と覚えると分かり易いです。
「苦渋」は心
「苦渋」は心・気持ち・思いが苦しいことです。
「苦渋に満ちた表情」は苦しい胸の内と言うことです。
「心には苦渋を感じる」もつらい思いのことです。
「苦渋の決断をする」は苦しい胸の内で無理やり決定をすることです。
「苦渋は苦しい・つらい心の葛藤のこと」「何度も苦渋の決断を経験しなければ人間は成長などしない」などと使います。
「苦汁」はつらい経験
「苦汁」は体で感じた苦しい・つらい経験のことです。
「苦汁をなめさせられた」は苦しい行い・行為を強要させられたことです。
「苦杯・辛酸」と同じ意味になります。
また、「にがり」のことも言います。
「苦く、辛く、酸っぱい汁を飲むほどつらく苦しい経験・出来事」と言う意味です。
ですから「負け試合・大失敗・失恋・失格」などの経験をしたことを「苦汁をなめる」と言います。
「苦渋」と「苦汁」は同音異義語
「苦渋をなめる」「苦汁の思い」とは言いません。
「苦汁の決断」も間違いです。
同音意義誤なので間違い易い言葉と言えるでしょう。
「苦渋の経験」ではなく「苦汁の経験」なのです。
「苦汁の決断」ではなく「苦渋の決断」なのです。
会話で聞いていると誤用も通じることがありますが、どちらも「苦しいこと」の意味がありますから、通じるのです。
「苦渋」と「苦汁」とは
「苦渋」は心の問題で、「苦汁」は「苦杯・辛酸」と同じ体の問題なのです。
「苦汁により苦渋が起きる」「苦渋はつらい心の内のこと」「苦汁は失敗・失恋・負けのこと」「若者は恋が破れたと知ったとき一瞬、苦渋の表情を浮かべた」「若者は苦汁をなめた失恋を思い出すたびに苦渋した」「苦渋と苦汁は会話では区別が付きにくい言葉だ」などと使います。