明治六年の政変は「明治六年に起きた政府の内部分裂のこと」。

当時、外国に干渉すべきと主張し、征韓論を唱えていた西郷隆盛、板垣退助らと現状は国内を優先的に見守るべきとする大久保利通、木戸孝允らが対立し、結果的に後者が日本の政府の主導権を握った出来事です。

明治十四年の政変は「明治十四年に起きた大隈重信が政府から追放された状況のこと」。

国会をすぐに開設すべきと主張する大隈重信と時間をかけて開設すべきと主張する伊藤博文、井上毅らが対立し、結果的に大隈は政府から身を引くこととなったのです。

「明治六年の政変」の意味

明治六年の政変とは、明治六年に起きた政府の内部分裂のことです。

政府の優先事項をめぐって、当時の有力者が対立した事件と言えます。

当時、征韓論を唱えていた西郷隆盛、板垣退助らは、この事件以降政府を去ってしまうのです。

その結果、国内優先の姿勢だった大久保利通、木戸孝允らが政府の実験を握ることとなったのです。

「明治十四年の政変」の意味

明治十四年の政変とは、明治十四年に起きた大隈重信が政府から追放された状況のことです。

当時、国会開設の時期をめぐり、大隈重信は伊藤博文や井上毅らと対立し、結果的に大隈は政府を去ることになったのです。

ただ、この後大隈は再び政界に復帰し、内閣総理大臣を経験するなど、政府の中心人物となっていく状況を迎えます。

「明治六年の政変」と「明治十四年の政変」の用法や用例

「明治六年の政変は、明治維新の立役者の1人である西郷隆盛が政府を去っていく大きな事件となった。

この後西郷は西南戦争を起こすなど、壮絶な最期を迎えることとなったんだ。」

「明治十四年の政変は明治時代におけるかなり有名な偉人たちの対立が起こった出来事だ。

特に大隈と伊藤の対立の部分は顕著と言えるのではないだろうか。」

明治六年の政変と明治十四年の政変

明治六年の政変と明治十四年の政変はどちらも日本史における、明治時代の重要事項となっています。

歴史的な偉人を含めたかなり有名な出来事であり、教科書などにも普通に載っています。

入試や学校の定期試験などでも出題される可能性が大いにあるので、それぞれの出来事の中身をきちんと区別しながら、しっかりと覚えておく必要があります。

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