舌禍は「失言や不用意な発言をすること」。
「失言」と言い換えると分かりやすい。
筆禍は「不適切表現や差別的表現の文章を書くこと」。
「差別」と言い換えると分かりやすい。
舌禍も筆禍もその時の本音で行うほぼ確信的な行為なのですが、社会的な批判を受け仕方なく取り消しや謝罪を行うものです。
発言や表現は間違いではなく、批判が間違えと言うことなのです。
「舌禍」は失言のこと
「舌禍」は差別的表現をすることで、社会的に影響を被る団体や個人が反発し抗議をすることで批判されることです。
そのことで失言取り消しは当然のこと、謝罪・反省を強要され、社会的責任をはずされる事態を招きます。
当の本人は本心からの発言なので、心底反省などしません。
社会的地位を追われることはダメージですが、信念を曲げようとはしないのです。
「筆禍」は差別表現のこ
「筆禍」は雑誌や書籍・新聞などに掲載した記事が差別的表現を含んでいた場合に起きることです。
文章にするぐらいですから確信的なのですが、批判は受け止めて訂正・謝罪・反省の気持ちを表明はします。
しかし、ほとんど本心ではありません。
ひとかどの人物の信念は簡単には変わるものではありませんし、変える気持ちもありません。
差別は良くないですが、思想・信条の中で必然的に出てくるのなら仕方がないと思っているのでしょう。
「舌禍」と「筆禍」は似ていること
「舌禍」はつい口が走り差別的失言をしたとされますが、そうではないことが多いのです。
「つい口に出した」のは事実なのですが、「だから本心ではない、舌足らずだった」と言うのは嘘なのです。
「本当のことを言ってしまったので不徳の致すところだ」と言うことなので、「失言が不徳」ではないのです。
「舌禍」も全く同じことが言えます。
「舌禍」と「筆禍」とは
「舌禍」は口が滑り差別的発言・失言をしたということですが、本心を言ったまでのことなのに「なぜ批判されるのか分からない」と言うのが本心なのです。
訂正・謝罪・反省はしますが、形式的なものです。
「筆禍」も同様ですが、確信的行為なので自説の表明のため、敢えて批判を受けることを覚悟で行うことも考えられる行為なのです。