呉牛喘月は「疑いや誤解が生じることによって、必要以上に怯える状況であること」。
何からの恐怖を感じているような、そんなシーンで使っていきます。
平穏な感覚で日常生活を送ることが難しいのです。
蜀犬吠日は「無知な人は当たり前の事柄に対しても、怪しんだり恐れたりすること」。
そんな感情を抱く必要はないのに、なぜかそのような感覚になってしまう人に対して使います。
「呉牛喘月」の意味
呉牛喘月とは、疑いや誤解が生じることによって、必要以上に怯える状況であることです。
恐怖を感じるという感覚は日常的に普通にあるえるとしても、疑いや誤解が原因になっているケースなので、実際はあまり多くないかもしれません。
また、疑いや誤解が原因になっていると本人が気付いていないときに主に使う表現になるので、第三者が使用するケースも多くあるはずです。
「蜀犬吠日」の意味
蜀犬吠日とは、無知な人は当たり前の事柄に対しても、怪しんだり恐れたりすることです。
世の中では当たり前と思われていることであっても、それを普通と見ることができない、そういう人に対して使用していきます。
周囲からすれば、なんでそんなものに対していちいち疑惑の目を向けるのか、怪しいと思うのかと不思議な状況に感じられるでしょう。
そのような光景で使う言葉になります。
「呉牛喘月」と「蜀犬吠日」の用法や用例
「呉牛喘月のような状況となると、こちらとしても困るな。
明らかに誤解が生じているのだが、相手は怖がっていてこちらの話を聞いてくれない、信用してくれないから。」
「なぜあの人はいちいち恐れるんだろうか。
事あるごとに恐れている状況が見て取れ、完全に蜀犬吠日のような光景に陥っている。
どうにかできないものかな。」
呉牛喘月と蜀犬吠日はどちらも恐れるという意味がある
呉牛喘月と蜀犬吠日はともに恐れるという意味がある言葉です。
ただ、呉牛喘月は誤解が生じていることによって、そういった状況になっているのですが、蜀犬吠日は当たり前の状況に対して恐れているので、両者はそういった部分で違いがあります。
似たような要素を持っている言葉ではありますけど、違いがある点は覚えておきましょう。