警戒感は「悪い方向になる身構えること」。

「身構える」と言い換えると分かりやすい。

危惧は「悪い方向になることを恐れ危ぶむこと」。

「危ぶむ」と言い換えると分かりやすい。

「警戒感」と「危惧」などの言葉はいずれ自分に被害や損失が及ぶのではないかと言う、「最悪の結果を恐れ、心配すること、危ぶむこと」と言う感情です。

「警戒感」は被害や損失の発生を危惧すること

「警戒感」は、既に起きていることに対する感情です。

そのことが先々悪い方向になり、結果として「被害や損失に繋がることになるかも知れない」と言う心配や危惧をすることです。

また、そのことに関わっている場合、被害や損失を食い止めることが出来ないために抱く感情でもあります。

例えば、株の暴落が近いうちに発生するかも知れないと分かっていても、「警戒感」が有ってもどうしようもないと言う場合が該当します。

「危惧」は心配すること

「危惧」は「危ぶみ恐れること、心配すること」と言う意味になり、将来のことや頼りない人に対して使います。

「将来、確実に大地震が起きると言うことに危惧をする」「余り知識や経験のない外人が、軽装で富士登山をしていることを危惧する」「頼りない人を年上だからとリーダーに抜擢したことに危惧の念を抱く」などと使います。

「警戒感」は「危惧」すること

「警戒感」は「危惧」することと同じです。

ある事柄に「警戒感」を持つことは、結果が「危惧」されるからに他なりません。

結果が上手くいくと見込まれれば「危惧」などしないものです。

「失敗して損失や被害が出る」かも知れないと言うことで「危惧」するのです。

つまり、「警戒感」は「失敗や損失、被害を危惧すること」と言うことです。

「警戒感」と「危惧」とは

「警戒感」は、「結果が失敗や損失、被害になる」ことなどに対して「危惧」することです。

「これは不味いことになりそうだ」「危ないぞ」と身構えていることです。

「警戒をしなければならない」と言う感じのことで「いつどうなるのか分からない」と言う状況で抱く感情です。

「戦地ではいつ敵襲があり、命を落とすかも知れないと言う警戒感や危惧がいつもある」と使います。

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