西海道は「五畿七道の一つの地域のこと」。

「山陽道」と言い換えると分かりやすい。

東海道は「五畿七道の一つの地域のこと、日本の中心的な街道のこと」。

「東海地方」と言い換えると分かりやすい。

「西海道」は京都起点で九州までの古代の日本の官道でした。

後の「山陽道」が整備され、「西海道」は九州地域のことになりました。

東海道は現在でも日本の主要道路になります。

「西海道」は古代の官道

「西海道」は古代においては、京都を起点とし九州を統括する大宰府に至る日本の官道でした。

律令制になり「山陽道」が整備され「西海道」は「五畿七道」の一つ、九州地域の行政区分のことを言うようになりました。

つまり、「西海道」は「京都起点の古代の官道」から「律令制の行政区分の一つで地域、または九州内の道」となった訳です。

「東海道」は五畿七道の一つ

「東海道」は東海地方を通る主要道路であるとともに、「五畿七道」と言う律令制の行政区分でもあり、周辺地域のことも言いました。

「東海道」は畿内から茨城にかけての東海地域、「伊勢、尾張、三河、甲斐、武蔵、安房、下総、常陸を含む15の国」のことを言います。

昔の「東海道」には多くの川があったため、交通には不自由があったと考えられます。

「西海道」と対になりそうな「東海道」

今でこそ「東海道」は日本の主要な通路ですが、古代においては「西海道」が重要であったのです。

京都を中心にした道、または、行政地域のことですが、必ずしも「対」になる訳ではありません。

昔の主要地域は「西」に在り、現在は「東」にあるのです。

単に「東西南北」を地域に当て嵌めただけと言うことです。

「北」だけなかったのですが明治になり「北海道」が造られました。

「西海道」と「東海道」とは

「西海道」と「東海道」とは名前からして「対」になりそうなものですが、共に「五畿七道」に含まれる地域のことになります。

「西海道」は、律令以前は京都と九州を結ぶ「官道」でしたが、律令後、「五畿七道」になり、「山陽道」「東海道」と共に九州地域を言う「西海道」となりました。

「東海道」は主要道路であるとともに周辺国のことも言いました。

当時は畿内から常陸に及ぶ太平洋地帯を言いました。

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