大所高所は「個々の細かいことに囚われないと言える、広く大きい観点のこと」。

細かい部分は気にしないで、広く大きく見ていこうという気持ちが表れています。

達人大観は「物事の道理に広く通じている人であれば、全体を客観的に見渡すことができる能力があること」。

物知りである、経験豊富である人ほどそういった能力に長けているということになるのです。

「大所高所」の意味

大所高所とは、個々の細かいことに囚われないと言える、広く大きい観点のことです。

要するに、細かい部分なんて気にしない、もっと広い視点で物事を見ていくということであり、そういう能力について言及する際に使います。

こういうことが可能な人は限られているので、実際にそのような人がいたときには優秀という評価ができるかもしれないです。

「達人大観」の意味

達人大観とは、物事の道理に広く通じている人であれば、全体を客観的に見渡すことができる能力があることです。

これも同じような能力について言及するときに使われる言葉と言えます。

広い視点に立って物事を見ることができる人に対して使っていく言葉です。

こちらも優秀と言えるような人物に対して使われることが多い表現です。

「大所高所」と「達人大観」の用法や用例

「細かい部分を気にしないで、もっと大きな視点で物事を見ることができれば、いろいろな部分が見えてくるだろう。

大所高所の能力はいろいろな発見をもたらしてくれるはずだ。」

「達人大観と言えるような人の場合、常に全体を見渡すことが可能であり、細かい部分にさほどこだわらない点が見える。

そういう人は貴重だから、社内にほしいものだ。」

大所高所と達人大観の意味はほぼ同じ

大所高所と達人大観に関しては意味はそれほど変わりません。

どちらも細かい部分に囚われずに、広い視点で物事を観察することができるといった能力に関する言葉です。

両者は基本的に同じ状況を指しており、違いはほぼないと言えるでしょう。

だから、区別できる点はほとんどないのです。

使用頻度も同じ程度と言えると思われます。

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