意気自如は「物事に驚いたり、怖がったりしないで、気持ちが普段と変わらず平静であること」。 特定のシーンにおいて普段と同じ気持ちで対応することができる、心が影響されないという意味の言葉になります。 泰然自若は「落ち着いて物事に動じない様子であること」。 どんな場面であっても、平静さを保っていられるという意味の言葉なので、...
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純一無雑は「混じりけが見られない状況のこと、一途で嘘が見られない状況であること」。 こういった意味で使っていく言葉ですから、それなりに使用シーンが考えられる状況でしょう。 純精無雑は「わずかな汚れもなく、混じり気のない様子であること」。 したがって、意味は純一無雑とほぼ同じです。 でも、一途や嘘が見られないといった意味...
紙上談兵は「実行が不可能である、実際には役に立たないと言えるような議論のこと」。 議論自体が無意味であると評価できるようなシーンで使っていく言葉になるのです。 紙上空論は「実行不可能であったり、実際の役には立たなかったりする論のこと」。 机上の空論に似た言葉であり、意味も似ています。 ただ、紙上談兵とも似ているので、そ...
窮途末路は「苦境にいることで完全に行き詰まり、逃れようもない状態であること」。 現在の苦しい状況から逃れる術がないと言えるようなケースで使っていく言葉になります。 かなり難しい表現になるでしょう。 山窮水尽は「非常に苦しい立場に陥って、どうすることもできない状況になること」。 窮途末路とほぼ同じような意味です。 現状を...
窮猿投林は「困っているときには、いろいろなものの中でえり好みをしている余裕はないこと」。 困っているときにはその状況を改善するための行動を真っ先にとるべきであり、何が最も望ましいかを考えている時間がもったいないという意味になります。 窮猿奔林は「困っているときには、いろいろなものの中でえり好みをしている余裕はないこと」...
筆耕硯田は「文筆業によって生計を立てている状況であること」。 筆耕硯田についてはこういった職業でお金を稼いで、生活をしているという意味になるので、かなり特殊な意味です。 心織筆耕は「文筆業によって生計を立てている状況であること」。 意味は筆耕硯田と全く同じと言えるでしょう。 使用頻度に大きな違いがあるとも言えないので、...
粉白黛墨は「美人であること」。 粉白も黛墨も本来は化粧品を指す言葉であり、そういったものを使ったうえで美人に見える人に対して使っていく言葉です。 曲眉豊頬は「美人であること」。 こちらも美人を表す言葉ですが、眉が三日月のように曲がっていて、頬が柔らかそうに見える女性に対して使っていきます。 そういう特徴がある美人を形容...
粉骨砕身は「骨を粉にして身を砕いて、そういった状況になるほどに全力を尽くすこと」。 表現としてはかなり大袈裟な面があるものの、意味としては理解しやすいと思われます。 彫心鏤骨は「非常に苦しみながら、彫刻などの作品を作り上げること」。 身体が苦痛を感じながら頑張るという点は粉骨砕身にそっくりですが、使用する場面がかなり限...
一汁一菜は「おかずが一品の汁と一品の菜だけの食事のこと」。 見た目において、明らかに質素な食事と言えるものに対して使っていく言葉になるでしょう。 粗酒粗餐は「安物の酒と粗末な食事のこと」。 こちらも質素な食事を表しているものの、謙遜して使う言葉なので、実際には質素とは思えないケースも含まれているのです。 そこは一汁一菜...
粟散辺地は「辺境の地にある小国のこと」。 この場合の小国は面積とか、そういった部分を指しているので、世界で見れば日本も該当すると言えるでしょう。 粟散辺土は「辺境の地にある小国のこと」。 したがって、粟散辺地と意味は特に変わらない状況です。 世界において小さいと感じられる国に対して使っていきます。 そのため、経済規模な...