押し迫るは「物事がすぐそこに近づいてくる様子のこと。」 「接近」と言い換えると分かりやすい。 差し迫るは「物事が時間的に近づいている様子のこと」。 「じき」と言い換えると分かりやすい。 「押し迫る」は物理的な接近のことを言い、「差し迫る」は時間的な接近を意味します。 「迫る」は「距離や時間などの間隔が狭くなること」です...
新着記事
増すは「量や程度が多くなること」。 「プラス」と言い換えると分かりやすい。 増えるは「他力的に増すこと」。 「自然増加」と言い換えると分かりやすい。 どちらの言葉も程度や量が増えることですが、「増す」は増えること自体を言うのに対し、「増える」は他力的に自然に「増す」ことです。 自力的には「増やす」と言います。 「増す」...
とちるは「言葉を言い間違えること」。 「失敗」と言い換えると分かりやすい。 かむは「言葉を言いよどむこと」。 「つっかえる」と言い換えると分かりやすい。 「とちる」は失敗のこと。 「かむ」は言葉を間違えて発音することです。 アナウンサーや芸人の発言で言葉を言いよどむことです。 例えば言いづらいカタカナ語を言えずに言いよ...
行くは「単に移動すること、進むこと」。 「進行」と言い換えると分かりやすい。 往くは「目的を持ち行くこと」。 「往来」と言い換えると分かりやすい。 「行く」は一般的に頻繁に使われる言葉です。 「どこかに行く」「行ってきます」と使います。 「往く」は目的を持ち目的の場所に行くこと」です。 「行く」も目的地があることは多い...
あるは「不特定のものから特定をすること」。 「特定」と言い換えると分かりやすい。 とあるは「たまたま偶然に行き当たった場所や建物のことを言う言葉のこと」。 「偶然特定」と言い換えると分かりやすい。 「ある」も「とある」も不特定多数の中から一つを特定して言う言葉になります。 「ある物体」「ある事柄」「とある建物」などと使...
迷悟一如は「迷いも悟りも本来は同一のものであるため、たどり着くところは同じであること」。 私たちは迷いと悟りは別々ものという印象がありますが、本来はそうではないのです。 迷悟一体は「迷いも悟りも本来は同一のものであるため、たどり着くところは同じであること」。 つまり、迷悟一如と意味は全く同じです。 言い換えのような言葉...
門前雀羅は「雀を捕まえることができるほどに訪問者がない、かなり寂れた状況のこと」。 人が全く来ないという状況であり、傍から見れば相当寂しい雰囲気が感じられる状況であると評価できます。 門巷填隘は「門や門前の小道に人が多く集まることで塞がり、通れなくなるほど狭い状況であること」。 こちらは寂れているわけではなく、窮屈にな...
故意は「そうなることを確信して行なうこと」。 「わざと」と言い換えると分かりやすい。 未必の故意は「そうなるかも知れないがそうなっても構わないと思い行なうこと」。 「もしかしたら」と言い換えると分かりやすい。 「故意」は確信的、意図的、わざと行なうことを言います。 例えば、殺そうと思い殺してしまうことです。 「未必の故...
才能は「個人の素質や訓練によって発揮される、何かを達成するための力のこと」。 才能という言葉は、それを使う人の主観的な判断が大きく、何を才能と捉えるかはその人次第と言えるのです。 才覚は「素早く知恵が働くこと、機転が利くこと」。 才能の一種とも言えるような意味であり、他人よりもかなり優れている部分と評価できると思われる...
九死一生は「ほぼ死にかけていたのに、危ういところで奇跡的に助かること」。 誰もが死んだと思っていた中で、奇跡的に助かると言えるシーンで使っていくのです。 万死一生は「ほとんど助かるとは思えないほどの危険な状態において、奇跡的に助かること」。 したがって、九死一生と意味はほぼ変わらないです。 でも、こちらの方がややマイナ...