両方の言葉はともに、「認識」「判断」「情緒的な思考や想像などに付いて心を働かせる」という意味です。
現在、「思う」は「想う」に比べ広く一般的に使われています。
「思う・想う」の意味に大差はありません。
しかし、「想う」は、特に「心にイメージを描く」という場合に使われていました。
例えば、「想う人はもういない」「子供の頃を想い描く」などです。
しかし、現在では、「想う」に代えて「思う」を使うことが一般的になりました。
「思う」の意味
「思」という漢字は、「田+心」で構成されています。
「田」の部分は、本来「?・シン・ひよめき」でした。
「?」の部分は、小児の脳の象形です。
つまり、この漢字は、「脳と心」を表しています。
それらの形で、「おもう」という意味を含むようになりました。
以下に、意味の詳細を記します。
①物事を知覚・認識する
「光ったと思ったら、雷が落ちた」
②物事について、何らかの感覚・感情を持つ。
感じる
「ここは、寒いと思う。
」
③物事についてある判断を下す。
判断を意見として示す。
「嘘だと思うなら、彼に聞いてみろ」
④物事について疑問・憶測・回顧・希望・決意などの気持ちを持つ。
「どうしようかと思っているところに、彼が現れた。
」
⑤あることを心に浮かべてあれこれと併せ考える
「仕事のことを考えると夜も寝られない」
⑥あることを気づかったり、心配したりする。
恋心を募らせる
「彼女を思う気持ちは負けない。
」
「想う」の意味
「想」という漢字の字義は、「思う・思いめぐらす」「推し量る・考える・計画を立てる・・(構想)」「おもい・考え・イメージ」「対象をこころに思い浮かべること」です。
この漢字は、「心+相」で構成されます。
「相」の部分は、「物の姿を見る」という意味です。
心に物の姿を見せることから、「おもう」という意味を含むようになりました。
「思う」と「想う」の用途
物事のイメージを抱いた場合に使われる「おもう」は、本来「想う」を使いました。
しかし、現在では、「想う」に代えて「思う」を使うのが一般的です。
⑦物事を知覚・認識する
「光ったと思ったら、雷が落ちた」
「雪かと思ったら、花びらだった」
⑧物事について、何らかの感覚・感情を持つ。
感じる
「ここは、寒いと思う。
」
「不祥事を遺憾に思う」
⑨物事についてある判断を下す。
判断を意見として示す。
「嘘だと思うなら、彼に聞いてみろ」
「彼女は正直者だと思う」
「会議を開きたく思います」
⑩物事について疑問・憶測・回顧・希望・決意などの気持ちを持つ。
「どうしようかと思っているところに、彼が現れた。
」
「亡き母をおもって、故郷へ帰った。
」「母を想う」
「物事は思うようにいかないものだ。
」
⑪あることを心に浮かべてあれこれと併せ考える
「仕事のことを考えると夜も寝られない」
「将来のことを思うと不安になる」
⑫あることを気づかったり、心配したりする。
恋心を募らせる
「彼女を思う気持ちは負けない。
」「彼女を想う」
「子を思う親の心は、いつの時代も変わらない」
まとめ・「想う」は、五蘊(色・受・想・行・識)の一つです
「想」は、仏教における「五蘊(色・受・想・行・識)」の一つです。
「五蘊」は、仏教の現象界の存在を形作る5つの要素、もしくは原理を表したものです。
「色」は、「物質・肉体」を意味します。
「受」は、「感受作用」を意味します。
「想」は、「表象作用」を意味します。
「行」は、「意志・記憶・欲求」を意味します。
「識」は、「認識作用」を意味します。
「想」が表す「五蘊」の一つの作用である「表象作用」とは、知覚に基づいて意識に現れる対象物の像のことをいいます。
目の前にある物を「想う」場合、「知覚表象」といいます。
記憶によって再生される像を「想う」場合、「想像表象」と言います。
これにより、「想う」が「イメージを思い描くこと」だと判ります。
仏教では、存在が「五蘊」から成り立っていると説きます。
それ故、無常・無我であるとされます。