三顧の礼は「真心を持って礼儀を尽くしたうえで、優秀な人を招くこと」。
ただ、目上の人間が目下の人間のもとに何度も通って、礼を尽くして何かをお願いするという意味もあります。
三微七辟は「真心を持って礼儀を尽くしたうえで、優秀な人を招くこと」。
意味は三顧の礼と同じであると言えます。
こちらも目上の人間が使うことがあります。
「三顧の礼」の意味
三顧の礼とは、真心を持って礼儀を尽くしたうえで、優秀な人を招くことです。
こういうケースは実際にあるでしょうし、普段の日常に関して使うことがしやすい面があるはずです。
ただ、実際にこの言い方を使っている人はあまり見かけません。
したがって、馴染みを感じやすいかと言えば、そうとは言い切れない面もあるでしょう。
「「三微七辟」の意味
三微七辟とは、真心を持って礼儀を尽くしたうえで、優秀な人を招くことです。
意味は三顧の礼と同じであると言えるのではないかと思われます。
表記は異なっていますけど、意味における違いはほとんどないと言えるはずです。
同様のシチュエーションにおける使用が可能です。
しかし、こちらの言い方は相対的にマイナーと言えます。
「三顧の礼」と「「三微七辟」」の用法や用例
「優秀な人を招いていくときには、それなりに真心を込めたおもてなしをしていく必要がある。
三顧の礼という部分は、常に意識しておいた方がいいだろう。」
「三微七辟という表現はちょっと珍しいと言えるものの、使うことができる場面はちゃんとあるだろう。
礼儀を尽くしたうえで、人を招くようなシーンで使用できる言い方だ。」
三顧の礼と三微七辟は知名度に差がある
三顧の礼と三微七辟は基本的には意味は同じであると言えます。
同じ場面で使っていくことができますし、そこは頭に入れておきましょう。
ただ、三顧の礼と比較したときには、三微七辟という言い方はどうしてもあまり知られていません。
知名度が低くなっているという点については、しっかりと覚えておいた方がいいと言えるはずです。