耳が汚れるは「不快に感じること、聞いてはいけないことを耳にしてしまうこと」。
聞くんじゃなかったと思えるようなことを偶然、または意図的に聞いたようなシーンで使っていく言葉と言えます。
耳が肥えるは「音楽や話芸などにおいて、聞き味わう能力が豊かになること」。
こういったジャンルに関して、耳が研ぎ澄まされて、味わい深さを感じやすくなる状況を指しています。
「耳が汚れる」の意味
耳が汚れるとは、不快に感じること、聞いてはいけないことを耳にしてしまうことです。
本人にとって聞きたくなかったと思える、聞かない方がよかったと思える内容に関して偶然、意図的に聞いてしまったシーンで使っていきます。
こういうシーンは実際にあり得る状況であり、使用できるシーンはそれなりに多いと評価できると思われます。
「耳が肥える」の意味
耳が肥えるとは、音楽や話芸などにおいて、聞き味わう能力が豊かになることです。
当初はそういったものを聞いても特に何も感じなかったのに、いつの間にか感動といった感覚が芽生えてきたときには、耳が肥えたという表現にぴったりの状況を迎えることになります。
したがって、こういう趣味を持っている人には縁がある言葉かもしれません。
「耳が汚れる」と「耳が肥える」の用法や用例
「怪しい男女の会話を偶然耳にしてしまったんだが、もしかしたら不倫関係にあるのかもしれない。
なんだか耳が汚れたような感覚が生まれてきたと言える状況だ。」
「以前はそうでもなかったものの、今となってはクラシックにかなり興味を示し、耳が肥える状況となった。
人生は何に対して夢中になるか分からないものと言えるね。」
耳が汚れると耳が肥えるは意味が異なっている
耳が汚れると耳が肥えるは表現としては似ているものの、それぞれは意味が違います。
耳が汚れるは聞きたくなかった、聞くべきじゃなかった話などを聞いたときに使う言葉で、耳が肥えるは音楽や話芸において、聞き味わう能力が豊かになったときに使う言葉です。
したがって、それぞれは明らかに使用する場面に違いがあると評価できます。