いましめるは「目下の者に道を誤りそうなときに注意をすること。」
「注意」と言い換えると分かりやすい。
いさめるは「目上の人に過失や間違いを指摘すること」。
「指摘」と言い換えると分かりやすい。
「いましめる」は「戒める」と書き、「いさめる」は「諫める」と書きます。
「いましめる」は目下に対して行い、「いさめる」は目上に対して行う行為です。
「いましめる」は注意のこと
「いましめる」は注意の強いことです。
若者が悪の道に染まりそうになれば、心ある大人は諭して「戒める」のです。
「戒」は「戒め、諭す、用心する、警戒する」などの意味があります。
「警戒を怠らない」「厳戒」「戒律は厳しい」「モーゼの十戒」「破戒」「自戒の念」「訓戒処分」「戒告処分」「懲戒処分」「哨戒機」「故人に戒名を付けて貰う」などと使います。
「いさめる」は諫言のこと
「いさめる」は諫言とも言います。
目上に対して物を言うのですから、場合によっては死を覚悟することも昔は有ったようです。
諫言を聞けない主君ならば家臣の心は離れるのです。
現代でも諫言を聞き入れない社長などは、社員の離反を誘うかも知れません。
諫言は耳の痛い言葉ですから、目に余る場合にしか言うことは出来ないでしょう。
「いましめる」は目下に、「いさめる」は目上に行なう行為のこと
「いましめる」は目上にはおかしい行為で必ず同等か目下の関係者に行います。
相手も悪いと知っている訳ですから、決して上から目線の態度やことば遣いをしてはいけません。
逆効果にならないように、どうしてそのようなことになっているのかを理解してあげることが「いましめる」なのです。
「いさめる」も相手は目上ですから、うかつなことは言えません。
「いましめる」と「いさめる」とは
「いましめる」は「戒」の字を使い、「いさめる」は「諫」の字を使います。
どちらも「諭す」と言うことでは共通した意味を持ちます。
「諭す」相手が違うということです。
「いましめる」は目下に、「いさめる」は目上に行います。
言い方はどちらも難しく、ともすれば反発を受けやすいと言えます。
死を覚悟する必要はなくとも相当の覚悟がいるものです。