合成の誤謬は「個人にとっては良い行為でも、全体的にとっては悪い行為と言えるもののこと」。

人は自分にとって利益のある行動をしがちですが、それによって全体には不利益がもたらされることを言います。

囚人のジレンマは「理論上では他者と協力した方が明らかに利益が大きくなるケースであっても、現実問題として協力しない方が得策であるときに、人は自己利益に走るという状況のこと」。

人は全体よりも個人の利益に走りがちであるという状況を示した言葉です。

「合成の誤謬」の意味

合成の誤謬とは、個人にとっては良い行為でも、全体的にとっては悪い行為と言えるもののことです。

個人の利益と全体の利益が一致しないという意味になり、個人の利益に走ることで、全体の利益が失われるような状況を指しています。

こういったケースというのは、至るところで見ることができ、日常生活の中に大いに潜んでいるのです。

「囚人のジレンマ」の意味

囚人のジレンマとは、理論上では他者と協力した方が明らかに利益が大きくなるケースであっても、現実問題として協力しない方が得策であるときに、人は自己利益に走るという状況のことです。

全員が協力すれば最大の利益になるとしても、1人でも裏切れば、その裏切った人間だけが最大の得をすると思われるケースでは、誰か1人は最低でも裏切るだろうと考え、各自が自己利益に走り、結果的に多くが協力しない状況を迎えます。

このような光景は現実で普通にありえるのです。

「合成の誤謬」と「囚人のジレンマ」の用法や用例

「個人の利益と全体の利益を一致させられるとは限らない。

そういったときに合成の誤謬が起きやすいと言えるだろう。

みんな自分が得したいと思うだろうし。」

「囚人のジレンマのような状況は現実にある。

全員が協力すれば1番望ましいけど、裏切ることにも旨味があれば、裏切る人間が絶対に出ると考え、協力する道を選ぶ人が誰もいなくなるんだよ。」

合成の誤謬と囚人のジレンマは個人と全体の関係性を謳った言葉

合成の誤謬と囚人のジレンマについては、意味はちょっと違います。

しかし、どちらも個人と全体の関係性に言及している点が特徴と言えます。

個人と全体の利益は一致しない、個人が独自の利益に走ると、理想的な全体の状況は実現しないといった意味になるので、そういった部分で共通点はあると言えるのです。

これらはたまに見聞きするので、意味は理解しておいた方がいいです。

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