言葉の違い 「迷悟一如」と「迷悟一体」の違い・意味と使い方・由来や例文 迷悟一如は「迷いも悟りも本来は同一のものであるため、たどり着くところは同じであること」。 私たちは迷いと悟りは別々ものという印象がありますが、本来はそうではないのです。 迷悟一体は「迷いも悟りも本来は同一のものであるため、たどり着くところは同じであること」。 つまり、迷悟一如と意味は全く同じです。 言い換えのような言葉...
言葉の違い 「門前雀羅」と「門巷填隘」の意味・意味と使い方・由来や例文 門前雀羅は「雀を捕まえることができるほどに訪問者がない、かなり寂れた状況のこと」。 人が全く来ないという状況であり、傍から見れば相当寂しい雰囲気が感じられる状況であると評価できます。 門巷填隘は「門や門前の小道に人が多く集まることで塞がり、通れなくなるほど狭い状況であること」。 こちらは寂れているわけではなく、窮屈にな...
言葉の違い 「故意」と「未必の故意」の違い・意味と使い方・由来や例文 故意は「そうなることを確信して行なうこと」。 「わざと」と言い換えると分かりやすい。 未必の故意は「そうなるかも知れないがそうなっても構わないと思い行なうこと」。 「もしかしたら」と言い換えると分かりやすい。 「故意」は確信的、意図的、わざと行なうことを言います。 例えば、殺そうと思い殺してしまうことです。 「未必の故...
言葉の違い 「才能」と「才覚」の違い・意味と使い方・由来や例文 才能は「個人の素質や訓練によって発揮される、何かを達成するための力のこと」。 才能という言葉は、それを使う人の主観的な判断が大きく、何を才能と捉えるかはその人次第と言えるのです。 才覚は「素早く知恵が働くこと、機転が利くこと」。 才能の一種とも言えるような意味であり、他人よりもかなり優れている部分と評価できると思われる...
言葉の違い 「九死一生」と「万死一生」の違い・意味と使い方・由来や例文 九死一生は「ほぼ死にかけていたのに、危ういところで奇跡的に助かること」。 誰もが死んだと思っていた中で、奇跡的に助かると言えるシーンで使っていくのです。 万死一生は「ほとんど助かるとは思えないほどの危険な状態において、奇跡的に助かること」。 したがって、九死一生と意味はほぼ変わらないです。 でも、こちらの方がややマイナ...
言葉の違い 「紅一点」と「万緑一紅」の違い・意味と使い方・由来や例文 紅一点は「多数の男性がいる中で、一人だけ女性がいること」。 多数の男性の中で女性が1人だけ存在しているようなシーンにて使う言葉であり、割と有名な表現です。 万緑一紅は「平凡な多くのものの中に1つだけ優れたものが確認できること」。 紅一点に似ている意味ではありますが、明らかな違いを見つけることが可能です。 性別は関係ない...
言葉の違い 「鶴髪童顔」と「白髪童顔」の違い・意味と使い方・由来や例文 鶴髪童顔は「頭は白髪であるが、顔はそれなりに若々しい人のこと」。 髪の毛と顔の状態にギャップが感じられる状況であり、見た目で言えば若いのか年老いているのか分かりづらい状況でしょう。 白髪童顔は「老人ではあるが若々しく見えること」。 年齢的には老人と言えるものの、見た目ではそういった部分を感じさせないケースで使っていく言...
言葉の違い 「長頸烏喙」と「鷹視狼歩」の違い・意味と使い方・由来や例文 長頸烏喙は「カラスのように強欲、陰険で一緒にいると苦労を感じやすい存在のこと」。 頸が長く、口先が尖っている人物に対して使われます。 そういう人物はこういう性格であることが多いという戒めの言葉です。 鷹視狼歩は「欲深くて、凶悪な面をのぞかせやすい存在のこと」。 タカのように鋭い目つき、さらにはオオカミのような獲物を求め...
言葉の違い 「平身低頭」と「閉口頓首」の違い・意味と使い方・由来や例文 平身低頭は「ひれ伏して、頭を低く下げること」。 頭が上がらない相手に対して使っていく言葉です。 よほど立場に差があるときには、こういった表現が使われやすいです。 閉口頓首は「困りきってどうしようもないこと、降参するしかない状況のこと」。 反撃などをする余地が残されておらず、もうどうしようもない、諦めるしかないシーンで使...
言葉の違い 「三拝九拝」と「三跪九叩」の違い・意味と使い方・由来や例文 三拝九拝は「敬意や謝意を表すために、何度も頭を下げること」。 そういった目的でお辞儀をするという意味の言葉です。 日常生活で使いやすい表現と言えます。 三跪九叩は「三度跪ずいてから、九回頭を地面につけるという礼のやり方のこと」。 中国の清の時代においては、この礼の仕方が皇帝に対して実際に行われている状況でした。 現代で...