「阿漕」と「無慈悲」の違い・意味と使い方・由来や例文

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阿漕は「義理人情に欠ける酷い状況のこと」。

人情を感じさせないような、むごい仕打ちやそういったことをする人に対して使われる言葉です。

無慈悲は「人を憐れむ気持ちが全く感じられない状況のこと」。

人情に欠けるという意味になるため、阿漕と似たような意味の言葉と言えます。

人を憐れむ気持ちが感じられない言動などに対して使われるのです。

「阿漕」の意味

阿漕とは、義理人情に欠ける酷い状況のこと。

何らかの酷い仕打ちなどをしたときに使いますが、そういう言動をとった人を指すこともあります。

阿漕という言葉はやや難しい言葉と言え、多くの人たちは積極的には使いません。

同様の意味を持つ別の言葉がいくつかあるので、そっちを使うことが多いです。

ややマイナーな言葉と評価できます。

「無慈悲」の意味

無慈悲とは、人を憐れむ気持ちが全く感じられない状況のことです。

普段の言動などから、そういう雰囲気が感じられた際に使う言葉と言えます。

ただ、特定の言動だけではなく、その人自身に対しても使われることがあります。

阿漕と比べると、無慈悲の方がメジャーであるため、こっちを使う人の方が多いと言えるでしょうし、見聞きする機会は多くあるはずです。

「阿漕」と「無慈悲」の用法や用例

「会社ぐるみで詐欺を働いていたケースが過去にあったが、そういう状況を見ると本当に阿漕な商売って世の中にあるんだなと思ったよ。」

「人を憐れむ気持ちというのは誰もが持っていると思っていたけど、そうではないようだ。

世の中には無慈悲な人もいて、人を憐れむことができない、そういう感情を一切持てない人もいるんだなと感じたんだ。」

阿漕と無慈悲は同じような意味を持つ言葉

阿漕と無慈悲に関しては、人情が欠けているとか、人を憐れむ気持ちがないという意味を持っており、同じような意味と評価できるでしょう。

したがって、区別をするのはやや難しい状況です。

ただ、無慈悲と比べて、阿漕という言葉はやや難しいので、これを実際に使用するケースはあまり多くありません。

無慈悲の方が見聞きする機会は多いはずなので、そこに違いがあるのです。

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