「平安京」は、京都が首都だった時の呼称です。
794年~1868年の間日本の都でした。
京域は、現在の京都市の中心部に当たります。
東京に首都が移るまで、天皇の居住した内裏がありました。
「平城京」は、奈良が首都だった時の呼称です。
710年~784年の間日本の都でした。
京域は、現在の奈良市から大和郡山市におよびます。
平安京に遷都されると、平城京の街はすぐに荒廃しましたが、東側の外京は東大寺や興福寺の門前町として長く栄えました。
「平安京」の意味
京都が帝都であった時の呼称です。
「平安京」は、桓武天皇が長岡京から遷都した延暦13年(794年)から、明治天皇が東京に遷都した明治2年(1868年)までの間、京都に置かれた都です。
「平安城」とも言います。
現在の京都の中心部に当たります。
北辺の中央部には大内裏が置かれ、各省庁の建物が大内裏の内部や周辺に造られました。
大内裏の中には、天皇の居住する内裏がありました。
「平城京」の意味
「平城京」は、「奈良京」「南都」とも言います。
京域は、現在の奈良市から大和郡山市までにおよびます。
元明天皇が710年に藤原京から遷都しました。
桓武天皇が、784年に長岡京に遷都するまで7代(元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁天皇)74年間の都でした。
都の一辺は、1.1方形の主要部とその東側に東院(外京)と呼ばれる南北約0.8km東西約0.3kmの張り出し部分で構成されています。
「平安京」と「平城京」の歴史と構造
◇平安京
「平安京」は、794年、桓武天皇によって長岡京から遷都されました。
延暦12年、和気清麻呂の建議により山背国葛野郡に新都造営に着手されました。
現在の京都の中心部にあたります。
平安京は、唐の長安の都城制を模して造られました。
都の広さは、南北38町(5.32km)東西32町(4.57km)です。
北部中央に大内裏を置き、そこから南に朱雀大路(現・千本通)を設けて都を右京と左京に分けました。
都内は9条東西各4房に分けられ、碁盤の目状に区画されました。
右京は間もなく衰退しましたが、左京の街は発展し鴨川を越えて東山にまで至るようになりました。
応仁の乱の最中、京都の街は大部分が灰燼に帰しました。
◇平城京
「平城京」は、藤原京から元明天皇によって遷都されました。
一時的に恭仁(くに)京や難波京などへの遷都がありました。
和銅3年(710年)~延暦3年(784年)までの都城です。
唐の長安の都城制を模して造られました。
京域は、南北約4.7km東西6.3km(外京を含む)です。
北部中央に平城宮を置き、そこから南に朱雀大路(幅約83m)を設けて都を右京と左京に分けました。
都内は9条(外京は1~5条まで)東西各4房に分けられ、碁盤の目状に区画されました。
推定人口は約20万人です。
平安京に都が移って後まもなく荒廃し、外京のみが東大寺・興福寺の門前町として残りました。
まとめ・平城京跡
奈良時代は、日本の律令制の黎明期です。
その時代の政治・文化の遺構が多く残る平城京跡が整備され、平成30年3月に歴史公園としてオープンしました。
学術的にも価値の高い文化財として特別史跡に指定されています。
また、毎年さまざまな文化遺構が新たに発掘され続けています。
平成10年度には世界遺産にも登録されました。
来園者の誰もが楽しみながら古代国家の歴史・文化を学ぶことができるように、わかりやすい解説や多彩なイベントが実施されています。
平城宮跡の遺跡や周辺の歴史的・文化的景観を体感することで、往時に思いを馳せることができます。